最期の一言 (外国編)


◆アダム・スミス(1723〜1790)
 イギリスの経済学者。『国富論』の著者。61歳のときに母をなくした彼は、それ以来健康が衰えた。晩年の1790年7月中旬、見舞いに来た友人に、自分のノート16冊を焼いてもらい、安心したようになった。そして「私は皆さんと一緒にいたいのですが、お別れしてあの世に行かなければなりません」といって寝室に去り、17日に死んだ。67歳。

◆J・ワシントン(1732〜1799)
 アメリカの初代大統領。晩年の12月12日、習慣にしていた乗馬の散策中にみぞれにあい、風邪をひいた。14日午後10時頃秘書に「葬式はていねいに頼む。しかし私が死んでも、3日間は墓に入れないでくれ。いいかね?」と言残し、静かに絶命した。67歳。

◆カント(1724〜1804)
 ドイツの哲学者。カントは一生独身で過ごし、毎日同じ町の同じ場所を、同時刻に散歩するという生活を続けた。1803年12月、彼は自分の名前も書けないほどぼけてきていた。翌年2月11日の夜、彼は友人からスプーンで、葡萄酒と水を甘く割った飲み物を差し出され、かろうじて飲むことができた。このとき「よろしい」といい、これが最期の言葉となった。翌朝彼は息を引き取った。80歳。

◆ゲーテ(1749〜1832)
 ドイツの小説家、劇作家。1832年3月16日、ゲーテは風邪をひき、床についた。22日午後11時30分、椅子の隅に身を寄せかけたままで亡くなった。「窓を開けてくれ。明りがもっと入るように」と言ったのが最後の言葉である。「もっと明りを」という印象的な言葉はこれに基づいている。83歳。

◆ドストエフスキー(1821〜1881)
 ロシアの小説家。『罪と罰』で有名。1881年1月25日夜、執筆中にペンを落とし、それを拾うために本棚を動かしたとたん喀血した。2月9日朝、彼は妻に言った。「アーニア、僕はもう3時間もずっと考えていたんだが、今日、僕は死ぬよ」11時頃目覚め彼は言った。「君を残していくのがとても心配だ。これから生きていくのが、どんなに苦しかろう」。夜8時30分、死亡。葬儀には約3万の人々が、修道院の教会堂まで棺のあとに付き従ったという。60歳。

の時計を」といって、それを最後に妻の腕のなかでこと切れた。70歳。

◆ユゴー(1802〜1885)
フランスの小説家。『レミゼラブル』が有名。晩年の5月18日、彼は倒れ、ベッドの中で言った。「君、死ぬのはつらいね」「死んだりなさるものですか」「いや死ぬね」しばらくして「ここで夜と昼が戦っている」とつぶやいた。22日の朝から臨終の苦しみが始まり、午後1時37分に息を引きとった。最後の言葉は「黒い光が見える」だった。このときすざましい嵐がパリを襲い、雷が鳴った。83歳。

◆ゴッホ(1853〜1890)
オランダ人の画家。1890年5月、パリ北方の小さな町オーヴエルに行き、絵を描き始めた。7月27日の夕刻、麦畑のなかで自分の胸をピストルで撃った。弾は心臓を外れたが、彼は重症のまま歩いて宿屋に帰った。明くる日、急報を受けて駈けつけた弟のテオに、ゴッホは「泣かないでくれ。僕はみんなが幸せになるようにと思って、こんなことをしたんだ」と言った。28日の夜「僕はこんなふうに死んでいきたいと思ってたんだ」といった。29日午前1時半、息を引きとった。生前に売れた絵は、1枚だけであった。37歳。

◆イプセン(1828〜1906)
 ノルウエーの戯曲家。『人形の家』で有名。1900年72歳のとき卒中に襲われ右半身が不随となった。1906年5月頃から、衰弱が激しくなり、月半ばからこん睡状態が続くようになった。22日の昼頃、看護婦が家人に少し良くなられましたというと、彼は「とんでもない」と言った。翌日の午前2時半、死亡。78歳。

◆マーク・トウェーン(1835〜1910)
 アメリカの小説家。『トム・ソーヤの冒険』で有名。死ぬ1年前に彼は「私は1835年ハレー彗星とともにこの夜に生れた。来年はまた彗星が近づく。私は彗星とともに、この世を去りたい」と言った。翌年、ハレー彗星が現われた翌日の4月21日、彼は突如狭心症の発作を起こし、絶命した。最後の言葉は「じゃあまた。いずれあの世で会えるんだから」と言ったという。75歳。

◆ルノワール(1841〜1919)
 フランスの印象派の画家。ルノワールは後半生リューマチに苦しみつつ、最後の20年は手に鉛筆を縛りつけてまでして、描き続けた。1919年12月2日、普段と同じように静物画を描き終え、午後7時頃眠りにおちた。8時頃、いきなり彼は「パレットをよこしなさい。この2羽の山しぎは」といった。彼は幻の鳥を見ているのである。「山しぎの位置を変えてくれ。早く、絵具を、パレットをよこしてくれ」彼は、午前2時静かに息を引き取った。78歳。

◆コナン・ドイル(1859〜1920)
 名探偵「シャーロック・ホームズ」の作者。彼は第一次大戦に出征した息子を失ったこともあって、晩年神霊学に凝り始めた。1929年秋、彼は倒れ、療養の結果、翌年春に一時回復したが、夏から再び悪化した。30年7月7日朝7時半、妻に「この地上で最も優秀な看護婦へ、と刻んだ勲章をお前のために作るべきだと思う」と言った。8時半、死後世界を信じていた彼は安らかに死んでいった。71歳。

◆チャーチル(1874〜1965)
 イギリスの政治家。最後の日に近い誕生日に「私は随分沢山のことをやって来たが、結局何も達成できなかった」と娘に語った。最後の言葉は「何もかもウンザリしちゃったよ」である。91歳。

(2006/3/18)