地域猫

 以前、本誌にて、「ノラの土産」と題して、野良猫の話題を掲載させていただいたことがあります。そうしましたら、インターネットを通じて、ある方から、次なるエピソードを引用されて、「野良猫」という呼称は好ましくないとの指摘を受けました。

 ―昭和天皇が留守中に、お住まいの庭の草を刈った侍従の入江相政に天皇は尋ねられた。「どうして草を刈ったのかね?」入江は、ほめられると思って、「雑草が生い茂って参りましたので、一部お刈りしました。」と答えた。すると天皇は、「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない。注意するように。」と諭された。―   (入江相政「宮中侍従物語」)

 当初、雑草と野良猫との接点が見いだせず、今ひとつ、納得がいかなかったのですが、外でうろうろしている猫を、十把一絡げで「野良猫」と片づけてしまう無神経さを、多分、ご指摘されたのではないかと思います。

 猫を、飼い方別に分類すると、@家猫(主に家の中で飼われ生活している猫)、A外猫(家の外で生活しているが、誰かが餌をあげている猫)、B野良猫、C地域猫の四つに分けられるのだそうです。「地域猫」というのは、野良猫だった猫に対して、地域住民でルールを決めて、餌やりやトイレの世話など、当番制で面倒をみている猫のことをいうのだそうです。

 なるほど、猫好きの方からしてみると、猫のことを、もっと知って欲しいという思いあっての一言であったと考えられます。

 さて、猫好きの方は、本当に、猫のことが好きであります。それは、犬が好きだという感情と、微妙に違うようなのです。私自身、そのことに気付く、ある重大?な事件が起きたのです。

 一月ほど前のある夕方、犬を散歩させていた折、真っ黒の小さな子猫が目の前を横切っていきました。薄暗がりでしたし、犬を連れていましたので、その時はそのままうっちゃっておきましたが、数日後、私どもの裏庭に、まだ乳をねだるほどの子猫を四匹連れた母猫が、しばしば来るようになりました。そうして、しばらくしたら、子猫一匹だけおいて、母猫は姿を見せなくなってしまいました。そして、朝、庭掃除をしておりますと、こんな小さな子猫でも、悲しいかな野良猫の性、私の姿を見ると、逃げようとするのです。

 ところが、しばらくして、ある雨の日、かわいそうに、ちょこんとひとりで子猫は雨宿りしていました。その日は、不思議と逃げようとせず、私の目をじっと見ています。そして、素直に撫でさせてくれたのです。

 そのことを家内に言うと、もういけません。以前から、可愛い子猫がいると言って気にしていたものですから、早速だっこして連れてきて、以来、三度々々の食事をあげるようになったのであります。確かに、「猫なで声」という言葉があるように、その甘え方は、餌が欲しいだけなのかもしれませんが、放ってはおけない愛らしさがあります。

 私どもの地域には、本当にたくさんの猫がいます。それぞれが、縄張りを持っており、厳しい猫社会を生きていくために、はっきりとした掟があるようです。最初に出会った黒の子猫は、どうも死んでしまったようです。後の三匹は、母猫が、新天地を求め、現在では別の所へ連れて行って生活しています。また、当方に出入りしている猫をよく観察していますと、親だけが面倒を見るのではなく、祖父猫と兄猫の二匹が、子猫の面倒を見ており、その習性は、なかなか面白いものがあります。

 ただ、定まった飼い主のいない猫が、いろいろなトラブルを起こしていることも事実です。そこで、繁殖や排泄といった問題を地域の猫として管理していこうという動きが、各地で起こり始めています。それには、地域住民の理解と、餌代、避妊手術費用の負担等、クリアしなくてはならないハードルがいくつかあります。

 仏教では、涅槃図にも描いてもらえない猫ですが、取りあえずトイレを設置し、避妊手術をして、見守っていこうと思っています。

(2005/10/18)