阿修羅

 秋は行楽のシーズン、お寺巡りをされる方も多いかと思います。そして、どなたにも、これまでに訪れた中で、心に残る仏閣や仏像が一つや二つはあるのではないでしょうか。
 
そんな中、特に人気の高い仏像に、奈良興福寺の八部衆中の、阿修羅像があります。細く長い六本の腕を空間に差し伸べて立ち、その巧妙な手の配置、愁いを含む美しい少年のような表情は、見る人の心に、何かを訴え、語りかけてくるようであります。



 八部衆とは、元来古代インドの邪神であったが、釈尊に教化され、仏法を守護するようになった八種の天部のことをいいます。

 @天(天界の神々)、A竜(蛇形の鬼神)、B夜叉(悪人を食う鬼神)、C乾闥婆(帝釈天に仕えて音楽を奏する楽神)、D阿修羅(闘争を好む悪神)、E迦楼羅(金翅鳥:金色の翼をもつ大鳥)、F緊那羅(天の楽神)、G摩ご羅伽(蛇神)からなります。

 阿修羅が、興福寺の像からは、「闘争を好む悪神」であったということを想像しにくいですが、血なまぐさい戦闘の行われる場所や場面を「修羅場」といったり、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の一つとして、絶えず闘争を好み、地下または海底に住み、人間以下の存在とされているのには、それなりに理由があります。宗教思想研究家ひろさちや氏が、次のように紹介されています。

 インドの神話に、アスラとインドラの神が登場する。アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神であった。最初、二神は仲良く天界に君臨していた。

 ところで、アスラの娘は絶世の美女であった。父親のアスラはこの娘を誇りに思い、青年インドラに嫁がせたいと思っていた。「正義」の神の娘と「力」の神が結婚すれば、きっと理想の夫婦になると信じていたのだ。

 だが、青年インドラは、そんなアスラの心中を知らず、街でアスラの娘を見たとき、これはいい女だと、暴力でもって彼女を犯してしまった。「力」の神は傍若無人、直情径行なところがある。そしてインドラは、アスラの娘を自分の宮殿に攫ってきた。

 怒ったのは、父親のアスラである。青年インドラに好意を持っていただけに、アスラの憎しみは大きい。「絶対に許せぬ!」と、アスラはインドラに戦闘を挑んだ。

 けれども、アスラは「正義」の神であり、インドラは「力」の神だ。アスラがインドラに勝てるわけがない。アスラは敗北する。しかし、アスラはインドラを許せず、負けても負けても、アスラは執拗にインドラに闘い続ける。

 そのうちに、インドラは面倒になった。そこで、ついにアスラを神々の世界から放逐した。追放されたアスラは、「魔類」とされた。

 仏教は、このインドの神話にもとづき、勝ったインドラを「帝釈天」とし、護法の善神とした。そして、負けたアスラを「阿修羅」あるいは「修羅」と呼び、闘争を好む魔神にしたのである。

 これはひどい! これでは、まるで「勝てば官軍」ではないか 最初、わたしはそう思った。けれども、いろいろと仏教説話を読んでみると、帝釈天と修羅の娘は仲がいい夫婦になっているのである。だが、父親の修羅は、過去の怒りを根に持って、帝釈天を許せないでいるのだ。なるほど、修羅は「正義」である。しかし、「正義」にこだわり続けると、人間は修羅になってしまう。仏教はそのことを言っているのだ、と、わたしは気づいた。

 「正義」にこだわるな! いつまでも「正義」の怒りを燃やすな!それが仏教の教えである。……

 以上、アスラの苦悩を思いやると胸が痛くなりますが、これに近い人は、身近にも結構いそうです。自分のが絶対正しいはずなのに、どうもうまくいかない場合、阿修羅像と語り合ってみると、案外糸口が見つかるかもしれません。

(2005/9/18)