歓喜天(聖天)

 仏教において、信仰の対象となる尊格には、仏(如来)・菩薩・明王・天(天部)があります。浄土教の場合、阿弥陀仏中心の教えですので、他の尊格について語られることは少ないのですが、なかには、とてもユニークな尊格もいますので、紹介させていただきます。

 仏教では、インドの神々が仏教に帰依して、仏教を守る「護法神(護法尊)」となったと考えて、これらの神々を「天(天部)」と呼びます。天部には福徳や財宝など現世利益に関する尊格も多くいます。こういったお願いは、仏や菩薩にははばかられるので、天部にお願いすることが多いようです。

 「天部」には帝釈天、梵天、毘沙門天、大黒天、聖天などがいます。
また、女性の「天部」には弁才天、吉祥天、荼吉尼天などがいます。それぞれがとても個性的な方ばかりです。なかでも、特筆すべきは聖天です。

 歓喜自在天・大聖歓喜天、略して歓喜天・聖天とも呼ばれますが、もとはインドのガネーシャ神で、四手と独牙(一本は折れている)の象頭で太鼓腹、そして、鼠にまたがるか、鼠を持っているという、どこかユーモラスな風体であります。父は破壊神のシヴァ、母はパールヴァティで、そのパールヴァティが自分の体の垢を練り上げて作り、あらゆる障害を防ぎ、富をもたらす神とされます。

 インドでは重要な事業の開始時には必ずガネーシャが祭られ、思慮深さの神でもあり、商売繁盛の神としても人気があります。

 本来は人間の姿であったが、母パールヴァティに頼まれ、沐浴を覗き見する者がいないように見張っていたとき、父シヴァに対してさえ妨げようとしたことから、激憤した父シヴァに、首をはねられてしまいます。

 正気に戻り慌てた(一説ではパールヴァティが逆上した)シヴァは、通りすがりの象の首を切ってくっつけたため、象頭の神になったということです。

 また、右の牙が折れているのにも逸話があります。

 ある時、鼠に乗っていたガネーシャは、鼠が蛇に驚き落とされてしまいました。その様子を見た天の月が嘲笑いました。それに激怒したガネーシャは、片方の牙に呪いをかけて月に投げつけました。月の満ち欠けはそのせいだと言われています。

 また、こんな逸話もあります。

 弟に、スカンダ(日本では、韋駄天)という神がいます。両親は息子たちを結婚させようとして、二人に世界一周を命じます。競争に勝ったものを、先に結婚させるというのです。ところが、スカンダの乗り物は孔雀ですが、ガネーシャは鼠です。勝ち目のうすいガネーシャは知恵を働かせて、両親のまわりをぐるりと一周して、「世界はお二人のうちにあります」と言って、見事勝利を収めます。

 日本において、このガネーシャは、象頭人身の男天と女天がひしと抱きあう双身像として造像されることが多いようです。男天がガネーシャで、女天は十一面観音の化身で、ガネーシャを仏教に帰依させる方便として、女天になり抱きついて歓びの心を起こさせ、その暴悪心を鎮めたとのことです。ちなみに、双身歓喜天像で、相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音菩薩の化身ビナーヤカ女神です。

 そのご利益は、医者でも治せない難病や怪我の治癒、一切の障害を除く、裕福になる、夫婦和合、子授けなどがあります。何かを断つ祈願に功験があるともいわれます。清浄を尊び、油で揚げた歓喜団子・大根・甘いお酒等、甘いものを供えると願意の成就がしやすいとされています。

 ただ、仏教に帰依した今でも、荒々しい心は変わらず、歓喜天に祈願すると、子孫七代までの福を一代で授かる反面、祈祷、修法の仕方を間違えると罰が当たり、また、もしその祈願のときに交わした約束を破ると、その命を取られるとも言われています。

 ハイリスク・ハイリターンの秘仏「歓喜天」を信仰するには、よほどの覚悟が必要のようです。

(2005/8/18)