アリとゴキブリ
暑い夏がやってきました。「夏」といって、最初に思い浮かぶものはなんでしょうか?
テレビコマーシャルに出てくるような夏のイメージを列挙するとすれば、「ギラギラした太陽」「汗」「プール」「かき氷」「ひまわり」……と、なりましょうか。しかし、わたしの場合、なぜか、「アリ」なのであります。
アリは、昆虫のなかでは、あまり好かれている部類ではないように思われます。かといって、そう嫌われている部類でもないように思います。わたしは、あの酸っぱい独特の臭い、蟻酸というのだそうですが、そう嫌いではありませんし、アリは、子どもの頃のよき遊び相手でありました。
当時、庭でも、道端でも、土のあるところであれば、どんなところにもアリの巣があったものです。ちょっとした大きな石を動かすと、焚き上がったコシヒカリかササニシキのような白く光り輝いた卵と、黒光りするアリが、ギッシリひしめき合って巣を作っていました。
子どもというものは、残酷なものです。いきなり巣を荒らされて、右往左往するアリたちの様子を見て、喜んでいたというわけです。他にも、巣穴から水を垂らしたり、巣穴を石でふさいだり、こちらは遊んでいるつもりでも、アリからすれば、とんだ迷惑千万な奴であったに違いありません。
対象となるアリは、大きければ、大きいほど嬉しかったものです。夏休みになると、母方の祖母のいる岡崎へ、よく遊びに行きました。在所の当たりは、小学唱歌に出てくるような小川やあぜ道のある田舎でしたから、名古屋では見たこともないような、見るからに強そうな大きなアリがいて、嬉しかったことを覚えています。
それがどうでしょう、この頃では、大きなアリが、すっかりいなくなってしまいました。今いるアリのほとんどが、ごま粒ほどもない、しかも色が妙に赤っぽい、台所の砂糖に群がる、小さく貧弱な奴でしかありません。やはり、アリは、テカテカ黒光りした、大きなあごを持った、自分より何倍、何十倍もある虫たちを、皆で引きずり運ぶような奴であって欲しいのです。大きなアリたちの生活できる環境が、失われてしまったからでありましょう。その地に生息するアリの大きさは、自然環境が正常であるか否かを知る上で、一つの基準になっているように思います。
自然環境ということに関連して、この頃、気になることがもう一つあります。それは、若い世代の人たちが、アリもそうですが、特にゴキブリをとても恐がる傾向にあるということです。当方の娘もそうなんですが、ゴキブリが出ようものなら、巨大肉食恐竜が現れたかと思うほど、大騒ぎして家中駆け回っております。
わたしどもが子どもの頃は、衛生状態が悪く、ハエもゴキブリも、大きいのから小さいのまで、種類も数も、それはそれはたくさんおりました。夏の食卓では、ハエを手で追い払いながら食べていましたし、少々、ハエがとまっても、あまり気にしなかったものです。
その後、下水道が完備されて、汚水処理がうまくできるようになってから、ハエは激減しましたが、勝ち残ったゴキブリだけは、家庭の害虫の王様として、君臨するところとなりました。つまり、ゴキブリは、すべての害虫を代表する邪悪の中枢、いわば、ダース・ヴェイダーのような存在となったのではないかと思われます。
しかし、ゴキブリに限らず、自分にとって不利益をもたらすものを邪悪なものとする判断、そして、邪悪と判断したものは、徹底排除しようとする態度や姿勢は、仏教的に見ると、好ましいことではありません。生きとし生けるものは、共存共栄を計ることが大切であるというのが、その教えです。
でも、とてもゴキブリとは仲良くなれないというかもしれません。当然といえば当然ですが、そのときは、自分の素手で、ゴキブリを捕まえて殺して下さい。やたら殺虫剤を撒くより、スリッパで叩くより、はるかに確実です。後で、洗剤で手を洗えば衛生上、全く問題はありませんし、自分という人間の傲慢さが実感できるものです。そして、自分が生きていく上においては、幾多の罪を犯さなければならないことを体得できるはずです。
この夏、人間であることの幸せと、人間であることの罪深さを、虫に教えてもらいましょうか。(2005/6/18)