マツケンサンバ


 さる三月八日、東京ドームでは、あの『暴れん坊将軍』、時代劇俳優松平健によるコンサートが開催され、二万人の観客とともに、「マツケンサンバ」を歌い踊って、大いに盛り上がったとのことです。

 この「マツケンサンバ」は、海外でも注目を集めているとのことです。インターネットで拾ってみました。

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 米ニューヨーク・タイムズは大阪発で「日本はサンバでナイト・フィーバー」との記事(二月十九日付)を掲載。米国人にとって「マツケンサンバ」とは「故ジョン・ウェイン(西部劇で有名だった超大物俳優)がカウボーイの格好でコミカルなパフォーマンスをやっているようなもの」と紹介した。

 松平のプロフィールやブームの現状を紹介したうえで「サラリーマンから子供たちまで幅広い支持を獲得。保守的なお年寄りは眉をひそめているが、 %の人々は好意的に受けとめている」と説明している。

 一方、フランス通信(AFP)は「モダンな日本のトップ・サムライがサンバのリズムで腰を振る」(二月二十八日付)と題し「勇敢で慎み深いかつてのサムライは過去のものになった。いま、日本で最もイカしたサムライは、まばゆい金色の着物に身を包み、サンバのリズムに合わせて腰を振っている」という書き出しでスタート。

 ブームについて「彼の最新CD『マツケンサンバU』は既に五十万枚を売り、金色の着物やちょんまげ付きのかつらといったマツケングッズの売れ行きも好調」と解説。(下略)

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 さて、サンバというのは、ブラジルの陽気なダンス音楽(リオ・デ・ジャネイロのカーニバルが特に有名)ですが、それを侍の姿で踊るわけですから、欧米人ならずとも、日本人であるわれわれも、当初ビックリ仰天したものでした。しかし、これこそ、日本人の特質を如実に示した現象なのかもしれません。

 「侘び」を重んじる茶道は、日本人の美意識に仏教的なものが加わり、きわめて日本的なものとされていますが、実は、キリスト教の影響から生まれたものであるとの主張があります。千利休によって大成された茶道のお点前は、カトリックの聖餐式(ミサ)における諸々の所作から取り入れられたというのです。

 たとえば、ひとつの茶碗で、その場にいる人が回し飲みをするという作法は、聖餐式の聖杯に注がれた赤葡萄酒(キリストの血)を、会衆で回し飲みをするという儀式に似ているということですし、その聖杯の縁に布を被せて、拭いたり、回したりと、茶道の所作と共通するものが多いということが指摘されています。茶室の躙り口も、「狭き門より入れ」という聖書の言葉の具現化であり、利休が秀吉に切腹させられたのは、キリシタンであったためだとする説を唱える学者もいます。

 「意外」といえば意外ですが、「なるほど」と思わせる根拠があることも確かです。 

 また、わが仏教におきましても、元はといえば、外来の宗教でありました。法然上人の『登山状』の一節に、「わが朝に仏法の流布せし事も、欽明天皇あめのしたをしろしめして十三年、みずのえさるのとし冬十月一日、はじめて仏法わたり給いし。それよりさきには如来の教法も流布せざりしかば、菩提の覚路いまだきかず。ここにわれら、いかなる宿縁にこたえ、いかなる善業によりてか、仏法流布の時にうまれて生死解脱のみちをきく事をえたる…」とあります。

 外来の宗教である仏教を受け入れるか否かについては、大陸の優れた文化であり、西方の国々が礼拝している仏教を受け入れるべきであるとする蘇我氏に対して、物部氏は、外国の神を受け入れれば、日本古来の「神(国つ神)」が怒るという理由から、仏教に反対し、徹底的に排除するべきと、激しく対立したといいます。そして、この抗争は半世紀にも及びましたが、仏教を深く信仰理解し、これを弘通させることに努力した聖徳太子によって、今日まで脈々と受け継がれてきている日本文化の方向性は決定づけられました。

 日本人は、何でも受け入れ、何でも吸収できるという特性があり、そのことは素晴らしいことです。しかし、芯のない辣韮では困まりますので、精神の核には、やはり、聖徳太子が願われた、仏心(慈悲)を据えるべきでしょう。

(2005/3/18)