鍋とお釜と燃える火と

 詩人の石垣りんさんが、昨年の暮れ十二月二十六日に死去されました。八十四才でした。

 プロフィールはともかく、代表作二点を、とりあえず紹介させていただきます。

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 私の前にある鍋とお釜と燃える火と

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあつたもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだつたり
くろい昆布だつたり
たたきつぶされた魚だつたり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であつたのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あつて励むように。

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  表札

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊つても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。

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 ふつう、われわれが詩歌と出会う機会というのは、特別文学好きである人を除けば、学校教育の中で、という場合がほとんどです。つまり、国語の教科書を通じてということになります。そして、その教材として取り上げられる作品は、その時点で、すでに評価が確立しているものということになり、生徒の立場からすると、新鮮さという意味で多少欠けるため、その感動が希薄になるのは、やむを得ないことかもしれません。

 ところが、私にとって、この石垣りんという詩人の作品との出会いは、生徒という立場ではなく、教師、中学の教員になってからでありました。国語教科書の教材に、「鍋とお釜…」が採用されていたのです。年代的に見ると、生徒からは、祖父母の世代になりましょうが、私からすると、親の世代、その分、鮮明に心にしみました。それは、母親の胎内で聞かされているような、心地よい、不思議な感動を覚えたことを、今も、はっきり記憶しています。

 絶版になっていた四冊の石垣りん詩集が、五年ほど前に復刊され、この手の詩集としては、異例なほどよく売れているそうです。また、現在でも、中高の教科書に、いくつかの作品が採用されているようです。現役の生徒諸君は、はたして、どのように感じ取っているのでしょうか。恐る恐る、聞いてみたくはあります。

(2005/1/18)