恐い名前の代書屋さん

 今年も残り少なくなってきました。振り返ってみますと、まさに災害の年でありました。日本を縦断するような台風がいくつも上陸し、各地に史上まれに見るような甚大な被害をもたらしましたし、震度七というとてつもない地震が、新潟中越地方を襲い、今も罹災された方々が、たくさん苦しんでおられます。

 このような災害は、被災者を、悲嘆・憤り・失意・絶望といった、どうしようもなく辛い状況に追い込み、本当にあって欲しくないことなのですが、時として、私どもに、一筋の希望の光と、感動のドラマを与えてくれることもあります。

 この度の地震による土砂崩れで、母子が車ごと生き埋めになり、奇跡的に、二才の男の子が、余震の続く危険な状況の中で、勇気あるレスキュー隊によって救出されたことは、まさに、そのような感動を、我々にも分けていただけました。長く語り継いでいかれるのではないでしょうか。

 次に紹介するのは、そんな感動の物語です。

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 それは木枯らしが吹く、大正十二年の暮れ近くのことでした。その年の九月一日、関東大震災が起こり、東京は半分以上が焼野原の廃墟となってしまいました。

 この大震災で家族を失ってしまった獅子谷虎象さんは、上野のバラック長屋で代書屋さんを開いていたのです。代書屋さんというのは、役所や裁判所等の届け書や、字の書けない人たちのために、手紙や葉書を代わって書いてあげる仕事をする人です。

 ところが、虎象さんは、その一風恐い名前のせいでしょうか、サッパリお客がありませんでした。「場所が悪いのかなあ」などと思案しているところへ、一人の男の子が飛びこんで来たのです。

 「おじちゃん、手紙書いてくれる?」

 そう頼む少年に、小さくてもお客さんは、お客さんだと思った虎象さんは、

 「いいよ、どこへ出すんだい?」と尋ねました。

 「インドのおしゃかさま。」

 これを聞いた虎象さん、びっくりして、

 「大人を馬鹿にする気か!」

と怒鳴ろうとしましたが、あまりにその幼な子の目が真剣なのに、思わず言葉を呑み込んでしまいました。

 「ぼく、おしゃかさまに、お母ちゃんの目をさましてもらうように頼みたいんだ。そして、ご飯を作ってくれるようにお願いするんだ。」

 これはただ事ではないと思った虎象さん、男の子に事情を聞くと、お母ちゃんはずっと寝たきりだったけど、今朝になって、いくら呼んでも目をさましてくれないとのこと、お腹もペコペコになり、誰かに頼もうと思ったら、ふとお釈迦さまのことを思い出したと言うのです。

 「だってお母ちゃんが、いつも『困った時には、おしゃかさまにお願いしなさい』って言ってたもの。でも、地震でボクん家のお仏壇も焼けてなくなってしまったでしょう。だから、おしゃかさまに手紙を書いてもらいたいんだ。」

 すべてを察した虎象さんは、少年を抱きしめると、

 「分かったよ、坊や。おじちゃんがちゃんと書いてあげる。坊やのお母ちゃんが目をさますように、坊やが温かいご飯がたべられるようにってね。」

と約束したのです。

 そして、この約束は本当になりました。虎象さんは、男の子の家に行って、亡くなったお母さんのお葬式を出してやり、少年を自分の子として引き取ったからです。

 虎象さんは少年に言いました。

 「お釈迦さまがすぐ返事をくださってね。お母ちゃんは体が弱いから、お浄土でゆっくりと休ませてあげるって。その間、坊やは、おじさんの家で元気で待っていなさいって。分かったかい?」

 コックリうなづく少年を見て、虎象さんもお釈迦さまに、

 「私もこれで、生きる希望がわきました。」

と心からお礼を言ったそうです。

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 同じ人間として生まれながら、弱みにつけ込んで、被災者からお金を巻き上げようと、オレオレ詐欺をはたらくような卑劣な人間もおれば、慈愛に満ちた心の持ち主の人も、実際います。

 私ども、少なくとも、そのような美しい心に、感動できる人間でありたいものです。

(2004/11/18)