山伏と大統領

 ブッシュ現大統領とケリー上院議員による、次期大統領選の行方はどうなるのでしょう。全国遊説やテレビ討論会など、文字通り激烈な選挙戦が繰り広げられております。今や、世界を動かす権力を与えられる人を選ぶ訳ですから、それはそれは大変なことであります。しかし、その演説を聞いていると、遠く海を越えて、テレビを通しているからでしょうか、どうも、しっくりいたしません。ふと、一休禅師のエピソードを思い出しました。

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 一休が、堺へ行った折のことです。淀の河瀬舟に乗り、たまたま乗り合わせた客に、山伏がいて、一休に、「御僧は何宗ですか?」と聞いてきました。

 一休が、「禅宗です」と答えれば、「禅宗には、我らのような奇特(ふしぎなしるし)はないでしょう」と得意気に言いました。

 一休は、「いかにも、あなた方には奇特は多いですね。あなたにも何か奇特な力があれば見せて下さい」と言いました。

 山伏は、「では、我らの法力で、この舟の舳先に不動明王を祈り出して御目にかけよう」と言って、数珠をさかんにもんで祈ると、乗り合わせた客たちが目を見合わせている舟の舳先に、たちまち不動明王の像が火焔を放って現れました。そして、山伏は渋面を作って、「皆々、拝んでおられるか?」と言えば、皆々は不思議に思い、あっけにとられていたが、一休は少しも不思議に思わない様子で平然としています。

 「さて禅僧、このような奇特にはどうなさるか」と急きたてて言えば、「我らの奇特は、身体から水を出して、あの火焔を放つ不動明王を消して見せましょう。せいぜい祈りたまえ」と言って、かの不動明王の像の火焔に小便をしたたか降り注ぎました。火焔は、たちまち消え失せて、山伏の法力が尽きたので、皆々は、一休を拝んで奇異の思いをしました。

 その後、舟から下りて、陸路を同行しているところに、向こうから、いかにも大きな犬が、山河に響くばかりの大声で吠えかかってきました。

 山伏は、「いかに御坊、先ほどの修行では私が負けたが、あの犬の怒りを鎮めて、こちらに呼び寄せる法力を見せようと思うが、御坊はどうするか?」と言ました。

 一休は、「これはとても簡単なことである。そなたが先に祈ってみて下さい。もし来なかったら、私に任せなさい」と言いました。

 山伏は、大きな赤い数珠を押しもんで、一心に祈ったが、いっこうに吠え止まず、手元に来る気配もありません。縦や横の方向に指で十文字切り、「犬の喉を止めよ。阿毘羅吽欠蘇婆訶、阿毘羅吽欠蘇婆訶」と呪文を唱えても、犬は相変わらず吠え続けています。

 一休がおかしく思って、「そこをお退きなさい。これ程のことに、アビラも、ウンケンも、ソワカもいることではない。あの犬の怒りを止め、たちまちここへ来させてしんぜよう」と、懐から昼飯の残りの握り飯を取り出し、その犬に一目見せて、コロコロと転がしました。すると、あれほど怒っていた犬ではあったが、握り飯を一目見てから、クンクンと尻尾を振ってやって来たので、山伏もあっけに取られてしまいました。皆々は、さても格別な心の持ち主だと、感心して帰っていきました。

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 さて、このエピソードに出てくる山伏の言動は、二人の大統領候補に似ているように思えてなりません。

 どちらも、「自分の法力こそ優れている」と、口角泡を飛ばし言い合っていますが、どっちもどっち、幻の不動明王の火焔に惑わされていると同じに、強力な武器の幻影に酔っているとしか思われません。ムーア監督の『華氏 』もいいですが、さしずめ、ローマ法王あたりが、核弾頭の起爆装置に小便を掛けて平和が訪れる、といった映画を、北野監督に作ってもらたいものです。

 また、イラクを犬にたとえては誠に申し訳ないですが、吠え続けています。あれほど自信満々だった、米大統領の法力は、いまだ通じていないようです。法力も武力も無用、腹を満たす糧さえあればよいということでしょう。

 「茶化してはいけない」とお叱りを受けるかもしれません。しかし、笑いの中に、案外、真実はあるものです。指導者を自負するような人には、それを解せる人であってほしいものです。

(2004/10/18)