もしも A(家族篇)

 非常に苦しむことを四苦八苦するといいます。四苦というのは生・老・病・死、八苦はさらに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を合わせたもので、仏教用語であります。その中の「愛別離苦」は、愛する者との別れによる苦しみで、そこにあるのは、ただ深い悲しみ、悲嘆であります。

 アール・A・グロルマン が『愛する人をなくした時』のはじめに、「死別の悲しみを癒すための指針」を提示しています。それを、日本の事情に合うよう、解説を加えたものがありましたので、次に掲げます。

@どのような感情もすべて受け入れる。

 否定的な感情でも受け入れるのは、禅の心の動きを観察する作業にも通じ理解しやすい。

A感情を外に表わす。

 これは日本的ではない。もちろんあらわす人はそのままあらわせる。また感情を表すということよりも、心にあることを人に話すということが大切である。

B悲しみが、一夜にして癒えるなどとは思わない。

 悲しみが何日続くかは個人差がある。しかしその人が悲しみをどうしたいのかが大切だと思う。悲しみを続けたいのか、あるいは悲しみを断ち切って死んだ人のことを早く忘れたいのか。それによっても対処の仕方が異なってくる。

Cわが子とともに悲しみを癒そう。

 悲しみは大人だけのものではない。そして、親はこどもの心をサポートしなければならない立場にある。そうした観点から、親はこどもの感情表現のモデルになることが大切だろう。

D孤独の世界へ逃げるのは、悲しみを癒す間違った方法。

 孤独の世界に逃げれば、癒せないというのは、外に発散することで癒されるという信念に基づいている。しかし癒す(ヒーリング)の語源は、聖なるものに触れるという意味があり、苦しみの意味を考えることによって、宗教心が芽生えたりする機会ともなることを忘れてはならない。

E友人は大切な存在。

 自分の不安を整理するためには、自分の悩みを打ちあける友人が必要であるという観点からのアドバイスであろう。

F自助グループ(支援組織)の力を借りて自分や他の人を助ける。

 同じ体験をもったもの同士の体験を聞くことによって、自分だけが特殊な境遇に置かれているという孤立感をやわらげることが可能である。

Gカウンセリングを受けることも、悲しみを癒すのに役に立つ。

 カウンセリングは、専門家のノウハウとその経験から、クライアント(患者ではなく、お客様というニュアンスがある)の悩みを引き出し、癒しの最短距離を教えてくれる。しかし日本ではカウンセリングを受ける習慣がないため、制度的にも問題を抱えている。

H自分を大切に。

 自暴自棄になるなということなのか、自分を甘やかすなということなのか。命を救えなかったとしても、そのことで自分を責めないことが必要である。

I愛する人との死別という苦しい体験を、意味ある体験に変えるよう努力しよう。

 苦しい体験から何かの教訓を引き出すということは、日本人の下手な部分である。何ごとも忘れることがうまいのが日本人である。死者を供養し、故人の遺志を引き継ぐことによって、自分を納得させることができるだろう。

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 ある、四才の息子さんを亡くされた父親が語っておられました。

 つまるところ、「@どのような感情もすべて受け入れるA感情を外に表わす」の二つに尽きます。そして、愛する者を亡くした人の周囲の方々に私がお願いしたいのは、せめてあなたが、失意の底にある人に対する時だけは、「一人前の人間として要求される諸々の事柄」をしばし執行猶予していただきたいのです。具体的には、あなたの前で心ゆくまで泣いたり、怒ったりさせてあげてほしいのです。励ますのではなく、話を聞いてあげて、できれば一緒に泣いてあげてほしいのです……と。

 悲嘆の最終段階への到達とは、愛する人をうしなう以前と同じ状態に戻ることを意味するのではない。苦痛に満ちた悲嘆のプロセスを経て、人は新たなアイデンティティを獲得し、より成熟した新しい人間として生まれかわるのである。(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編『生と死を考える』春秋社

(2004/4/18)