地蔵さまの話

 のーえ節

富士の白雪ゃのーえ
富士の白雪ゃのーえ
ええ富士のさいさい
白雪ゃ朝日に溶ける

溶けて流れてのーえ
溶けて流れてのーえ
ええ溶けてさいさい
流れりゃ三島に注ぐ

三島女郎衆はのーえ
三島女郎衆はのーえ
三島さいさい
女郎衆は御化粧が長い

御化粧長けりゃのーえ
御化粧長けりゃのーえ
ええ御化粧さいさ
長けりゃ御客が困る

御客困ればのーえ
御客困ればのーえ
ええ御客さいさい
困れば石の地蔵さん

石の地蔵さんはのーえ
石の地蔵さんはのーえ
ええ石のさいさい
地蔵さんは頭が丸い

頭丸けりゃのーえ
頭丸けりゃのーえ
ええ頭さいさい
丸けりゃカラスが止まる

カラス止まればのーえ
カラス止まればのーえ
ええカラスさいさい
とまれば娘島田

娘島田はのーえ
娘島田はのーえ
ええ娘さいさい
島田は情けで溶ける


 ご存じ、酒の席でよく歌われる『のーえ節』であります。この歌のおもしろさは、女郎(遊女)と地蔵さんとが同列で扱われているところでありましょう。

 東海道関宿の地蔵院(三重県鈴鹿郡関町)の地蔵さんには、もっと強烈なエピソードがあります。

 むかし、地蔵の開眼供養をたまたま通りあわせた一休禅師(一三九四〜一四八一)に頼んだところ、禅師は地蔵にむかって「釈迦はすぎ、弥勒はいまだ出でぬ間の、かかるうき世に目あかしの地蔵」と詠み、前をまくって立小便をして立ち去りました。

 人々は怒って、別の僧に頼んで開眼供養をやりなおしましたが、その夜、世話人が高熱でたおれました。夢枕に地蔵が立ち、せっかく名僧の供養で開眼したのにと、供養のやりなおしを命じました。あわてて桑名の宿にいた禅師に助けを求めると、禅師は古びた下帯(ふんどし)をはずして、地蔵の首にかけるよう手渡しました。人々は半信半疑で言われた通りにすると、世話人の高熱はたちまち下がりました。関の地蔵が首に麻の布切れをまいているのは、この故事によるということです。

 このようなことが、本当にあったかどうかは分かりません。地蔵さまは、地獄をはじめ、六道を巡り、閻魔さま以下さまざまに姿を変えて人びとを救う菩薩(六道能化)であります。他の仏さまとは違い、畏まって鎮座在しているような仏ではないということを、一休禅師を通じて教えてくれているのだと思います。

 地蔵さんは、津々浦々、苔むした古い時代のものから、交通事故で亡くなられた現場に、ごく最近たてられたであろうと思われるものまで、本当にたくさん見かけますが、人それぞれに、何か心に残る、あるいは残っている地蔵さんがいるものです。

 先年、地区仏教会の方々と、藤沢市にあります時宗総本山清浄光寺に参詣した折に立ち寄った、元箱根の磨崖仏、俗称六道地蔵は、その大きさもさることながら、実に印象深い地蔵さまでありました。

 この辺りは、厳しい気候と火山性の荒涼とした景観で、地獄の地として、また賽の河原として、昔から地獄信仰の霊場となっていたところだそうです。鎌倉時代後期に、石塔や地蔵磨崖仏がつきつぎと造られ、近年、元箱根石仏群として整備されています。近代的な石塔群保存整備記念館(ガイダンス棟)も建てられ、観光地化してしまっているのは、少々重みに欠け、残念なところではあります。

 ともあれ、旅の途中で、あるいはふとした路傍で出逢う地蔵さまに、ハッとすることがあるものです。それは、おそらく、無意識に起こる懺悔の心が、そうさせるのかもしれません。

(2004/2/18)