モノモライの話

 最近の人気テレビ番組に「トリビアの泉」というのがあります。

 トリビアというは、この世の中で知っていてもしょうがないムダな知識のことだそうで、毎週、聴視者から寄せられるこのトリビアをパネラーが品評する番組であります。パネラーが感銘した時に押す「へぇボタン」が商品化されたり、そのとき発せられる「へぇ〜」という言葉は、二〇〇三年度の流行語にもなりました。

 たとえば、「小便小僧がおしっこをしているのは、爆弾の導火線の火を消すため」とか、「真珠はあさりでもできる」といった類のものであります。

 そこで、それにあやかるというわけではありませんが、たまたま読んでいた『旅のなかの宗教』(真野俊和著)の中に、モノモライに関する知識が載っていて、「へぇ〜」と思い、他にも二三資料をあたってみましたので、紹介させていただきます。

 それは、「モノモライ(麦粒腫)という呼び名は、物貰い(乞食)という意味からついた」、というものです。

 近頃は、衛生状態や栄養状態ががよくなったせいか、モノモライを患っている子どもをあまり見かけませんが、私たちが子どもの頃は、よく、このモノモライになりました。ある程度年配の方はよくご存じかと思いますが、まぶたにできる一種の腫れ物で、医学用語では麦粒腫というそうです。これに罹ると、私の母は、棕櫚の箒の毛を一本引き抜いてきて、目頭のところを、コチョコチョと突いてくれました。涙の出口が詰まっているのが原因だから、こうすれば治るというのです。

 たしかに、モノモライで眼医者に行った覚えがありませんので、この呪いのような治療で治ったわけですが、たいていの場合は、放っておけば四〜七日で治るもののようです。

 このモノモライに関する習俗は、棕櫚の毛もその一つでありましょうが、実にさまざまあるようです。それを最初に着目したのは、あの日本民俗学の創始者として有名な柳田国男であったとのことです。

 私の母は、メンボといっていましたが、メコジキ(中部)・メボイト・ホイト(中国)・ノメ(東北)・メカゴ(北関東)・メバチコ(近畿)・インノクソ(九州)など、その呼び名は、全国から拾い集めると、実に二十数種にもなるそうです。その中に、モノモライ・メコジキ・ホイト・七軒乞食など、乞食のことを意味する一群の呼称があり、それらは、治療法である呪いからきているというのです。

 呪いに関しては、まぶたに小豆を当て、それを井戸に落としたり、篩や箕などを井戸の上に半分だけかざし「治ったら全部見せる」と唱えるもの、眼の前で藁を結びそれを焼く、ツゲの櫛の背を温めてまぶたをこする、着物の褄を糸で縛っておく、臍に塩を入れるなど、数えればきりがないほど、各地にさまざま伝承されているようです。

 中でも、物を貰って歩くという方法が、呼び名に深い関わりを持つということで、こちらも実にさまざまあります。

 七軒乞食というのは、七軒の家から麦の粉を貰ってきて、焼き物にして食うというもの(神奈川)で、他人の家に行って障子の穴から手を差し入れて握り飯を貰って食べる(長野)とか、橋を渡らずに三軒から食べ物を貰って食べるとか、本当の乞食から米を貰って食うといったものまであるそうです。

 ただ、この呪いは、麦粒腫に対して行われていたというのが、もっとも一般的ではあったのだけれども、時には、熱病や胸の痛みなど、他の病気についても語られる方法であったということです。そこで、柳田国男は、この習俗について、次のような説明を加えています。

 「物を貰って食べるということは、元来、卑しい行為ではなく、食べ物を通して、他人とのつながりを作る働きがある。人はこれによって、心丈夫になり、孤立の不安から解放される。」(要旨のみ)

 なるほど、病気は、不安なものですから、そんな時には、引きこもるのではなく、他人の家へ物を貰いに行って、「私も罹ったが、すぐに治った」といってもらえれば、さらに、安心できるわけです。

 どうも近頃、世の中が殺伐としてきて、心を病んでいる人が多いのは、このモノモライを患うことが少なくなってきたからかもしれません…ね。

(2004/1/18)