ミリンダ王の問い

  私ども、朝ご飯を炊きますと、先ず、仏様・ご先祖様に仏飯をお供えします。また、頂き物をした時などにも、自分たちが口にする前に、仏壇へお供えします。常日頃より、仏壇の仏様・ご先祖様には花を供え、灯明をあげ、香を焚き、ご供養することは、当然のこととして、これまで、疑問に思うことはあまりなかったのではないでしょうか。

 しかし、とかく合理的に考える今日、食べてももらえない供え物をして仏様に供養することは、意味がないのではないかと考える人が多くなっていることも確かです。ただ、このような疑問をいだくのは、現代人に限ってのことではなかったのであります。

 釈尊が入滅されてから二・三百年ほどたった、紀元前二世紀後半ころに、西北インド(現アフガニスタン・パキスタン・中央インドに及ぶ)を支配していたギリシア人の王に、ミリンダ(メナンドロス)という人がいました。

 そのミリンダ王は、権力・富力・知力のすべてを兼ね備え、論議を好み、少しでも骨のありそうな人がいると聞けばどこまでも行って論戦を挑んだといいます。しかし、王にかなう者はなく、その都度、「ああ、全インドは空っぽである。実に、全インドはもみ殻のようなものである」と嘆いたといいます。

 ところが、仏教の論師ナーガセーナ長老(那先比丘)と出会い、問答を重ね、ついには王が仏教に帰依して出家し、阿羅漢(修行僧の最高位)に達したという経緯が、『弥蘭王問経』あるいは『那先比丘経』という名で収められています。

 ギリシアはヘレニズム文化を生み出した西洋思想の源泉であり、インドは、仏教を生み出した東洋思想の源流であります。その二つがぶつかり合った問答のその内容は、時代にそぐわないものもあるにはありますが、現代の我々の疑問にも、明快に答えてくれるものであります。冒頭に掲げました、供養に関しては、以下のごとくであります。

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 「尊者(ナーガセーナ)よ、もし仏陀が供養を受けるならば、仏陀は寂滅したとはいえない。仏陀はなおどこかに生きていて、世間と結びついていなければならない。もし、まったく寂滅したというならば、かかるものを尊崇し供養することは、無意味でなければならぬ。尊者よ、この両刀論を、わがために、みごと解きたまえ。」

 「大王よ。世尊は寂滅しもうた。もはや、なんの供養も受納いたしません。だが、大王よ。炎々たるたる火が燃えつきて消えてしまった時、この世には火はなくなったのでしょうか。」

 「いいえ、尊者よ、そんなことはありません。また火を必要とする者はだれでも、自分の力で、再び火をおこし、それでもって火の必要な仕事をなすことができます。」

 「大王よ、だから私は、仏陀はすでに寂滅し、供養を受納しないはずだから、かかる者に対してなされる供養は、空虚で、無益であるというのは、間違っていると申さねばなりません。大王よ、かの炎々たる焔のごとく、仏陀はその生ける時、十方の世界を照らしたもうた。今や仏陀は、その焔の燃えつきて消えるがごとく、十方世界を照らし終わって、まったく寂滅したもうた。もはや、仏陀は、この世のなんの供養も受納いたしません。だが、火が消え去っても、人々は、また火を必要として、自分の力で、再び火をおこさねばなりません。それと同じように、たとえ仏陀はまったく寂滅いたしましても、人々はまたその教えを仰ぎ、その実践の後をしたって、すぐれた人間の状態に達することを得るのです。そのとき、仏陀に対してささげられる尊敬と供養は、たとい仏陀がそれを受けなくとも、けっして空虚でもなく、また、無益でもないのであります。」

 (他事例略)

 「いまや、この難しい両刀論は、尊者(ナーガセーナ)によって、裁断せられた。」

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 この他の一例として、「念仏によって、大罪人も救われるという、一方では、たった一度の罪でも地獄に堕ちるというは矛盾しないか」という問いに対しては、「石は、小石であっても水に沈むが、百の車に積むほどの石くずでも、船に載せれば浮かぶことができる。念仏は船のようなものだ」と、ナーガセーナ長老は、ミリンダ王に答えています。

 信仰というものは、領解なくして生まれません。秋の夜長、ミリンダ王と、ナーガセーナ長老の問答に、耳を傾けてみませんか?

(2003/10/18)