三毒
仏教について学ぼうとしたとき、必ず最初に教えていただくものに「三毒」という考えがあります。
私どもを、煩わし悩ませる心のはたらきを「煩悩」といいますが、その数は「百八」とも「八万四千」ともいわれます。多種多様にわたって私どもの心に作用し、正しい判断を妨げるものとされます。よって、この存在を認識することは、大乗仏教と小乗仏教とではとらえ方に違いはあるものの、仏教を志す者として、最も重要な課題であります。
しかし、その数が、「百八」とか「八万四千」というのでは、とても把握できるものではありません。そこで、その根源をたどると、自分の好むものをむさぼり求める「貪欲」、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する「瞋恚」、ものごとに的確な判断が下せずに、迷い惑う「愚痴」の三つに集約できるとされます。それを、「三毒」というのです。簡単に略して、「貪(むさぼり)瞋(いかり)痴(おろかさ)」という具合に覚えるとよいようです。
ところで、最近、ある東京在住の方が、「名古屋に行く用事がある」といったところ、「気をつけて」といわれたそうです。名古屋の住人として、残念なことですが、確かに、このところ、北区・千種区で起きた通り魔殺人事件、新日鐵の名古屋製鉄所構内にあるコークス炉ガスホルダーが爆発・炎上した事故、特に、九月十六日大曽根で起きたビル立てこもり爆発事件は、なんとも衝撃的でした。
人間が起こす、様々な事件や事故は、その原因を究明すれば、必ずこの三毒に行き着くものです。例えば、通り魔の犯人は、いつもヒラヒラした衣服を着用し、奪ったブランドのバックのシリアル番号の一致が決め手となったようですから、まさに、貪(むさぼり)が引き起こした事件でありましょう。
新日鐵の火災も、安全対策の不備ということからすれば、痴(おろかさ)に起因するものといえましょう。さらに、ビル立てこもり爆発事件では、会社・経営者に対する不満、つまり、瞋(いかり)が、自らの命を一瞬にして消滅させ、他多数の死傷者を出すという悲惨な結果を招きました。
仏典においても、この三毒に関する記述は少なくありません。いくつか紹介させていただきます。
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仏陀が、朝早く托鉢をしておりますと、一人の婆羅門が、仏陀の姿を見て、近寄ってきました。新しい宗教者である仏陀に対して、快からぬ感情を抱いていたのです。
彼は、ありったけの大声をあげて、仏陀に罵詈雑言をあびせました。しかし、仏陀は、平然と托鉢の歩を進めています。それで、いよいよカッとなって、土くれをつかむと、仏陀にむかって投げつけました。すると、たまたま一陣の風が吹き、投じた土くれは、土けむりとなって彼の顔をおおいました。あわてふためく彼のさまを、しずかに振り返って、仏陀は次のように語られたといいます。
「もし人、故なくして、悪語をはなち、怒罵をあびせ、清浄無垢なる者を汚さんとなさば、その悪かえっておのれに帰せん。
たとえば、土をとってその人に投ずれば、風にさかろうてかえってみずからを汚すがごとし。」
そこで、彼は、ハッとわれにかえり、仏陀の前に、深く頭をたれ、無礼をわびたといいます。
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また、ある時、二人の比丘がけんかを始め、収拾がつかなる事態になりました。一人の比丘の過失を、もう一人の比丘が責めました。それで謝罪したところが、それを許さず、今度はそれを責めるという具合に、際限なく、罵り合いが続いたというのです。見かねて、他の比丘が、仏陀にその顛末を報告しました。
仏陀は、彼らに次の偈を示されました。
「忿りの領に行くことなかれ。友情に老いをあらしむるなかれ。そしるべからざるをそしるなかれ。不和のことばを口にするなかれ。山の人をおしつぶすがごとく、忿りは愚かなる者を押しつぶす。」
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さて、この二つの話には、瞋恚(いかり)のもつ恐さが説かれています。貪欲(むさぼり)が、しだいに人を蝕む毒のような性質を持っているのに対し、瞋恚(いかり)は、「山の人をおしつぶすがごとく、忿りは愚かなる者を押しつぶす」ように、ひとたびその炎に焼かれると、積年の功徳も一気に失せ、その人を台無しにしてしまいます。
ご用心、ご用心……。
(2003/9/18)