猫の手

 近年、空前のペットブームということです。一番の人気は、犬で、しかも、「どうする〜アイフル〜」のテレビCMで、愛くるしい演技ですっかり有名になった、チワワなのだそうです。

 時々新聞に入ってくる、ペットショップの折り込みチラシの値段によって、どんなペットに人気があるか、だいたいは分かります。先日見た、チワワの場合、二十ウン万円には驚きました。しかし、これに驚いてはいけません。犬の一生にかかる費用は、およそで三百万円なんだそうです。

 一昔前であれば、ご飯にみそ汁でよかったエサも、専用のヘルシー嗜好のものからグルメ嗜好のものまで、それはそれはたくさんの種類がありますし、毎年の予防接種、夏ともなれば、フィラリアや蚤の駆除薬と、これがなかなか費用がかかるのです。

 私どもにも、小型犬が一頭います。皮膚が弱いという持病があり、人間様より高いシャンプー液や内服薬がはなせません。また、つい最近、良性ではありましたが腫瘍摘出手術をうけ、高額治療費もさることながら、傷が癒えるまで、犬本人はもちろんのこと、私どもも大騒動でありました。

 毎日朝夕の散歩に、毎週のシャンプーにかかる時間が、小一時間、そして、月一回の美容院への送り迎えと、どうしてそこまでして犬を飼うのか、ということにもなりますが、それなりの理由はあります。一言でいえば、可愛いからということになりますが…。

 犬とは違いますが、ある猫好きな方が、「猫の脳は、人間の脳に前頭葉がないだけで、人間と思考回路が似ており、自分は、猫と対話できる」と、自信満々にお話しされていたのを聞いたことがあります。そういわれてみると、あながち嘘ではないような気もしてきます。

 そう遠い昔ではない、以前、人間と動物との関わりは、もっと実利的であったように思います。馬や牛は荷を引いたり、農作業の大事な労働力としてでありましたし、犬の場合であれば、番犬として、猫であれば、ネズミを退治するために飼っていたと思うのです。

 慣用句としてよく使う、「猫の手も借りたいほど忙しい」というのは、ネズミを捕るという仕事はちゃんとやってくれているけれども、もう少しほかのことにも役だって欲しい、という思いから出来たことばであろうと考えられます。猫にしてみれば、「十分に手を貸してやっているではないか」、というかもしれません。

 私が子供の頃、ニワトリを飼っている家が結構ありました。もちろんペットとしてではなく、卵を産ませるために飼っていたわけです。今日のように、卵は安価なものではなく、滋養豊富な栄養源として、薬と同等の扱いを受けているような存在でありました。病気見舞いや、中元・歳暮などにいただいた折には、おが屑の中から探し出すのに、宝石を取り扱うようにしていました。そんな大事な卵を産んでくれるニワトリですから、十分に飼う価値があったわけです。しかも、卵が産めなくなれば、鶏肉として、貴重なタンパク源となったわけです。

 現代人からしてみますと、「そんなかわいそうなことを…」というかもしれません。しかし、ただ可愛いから、あるいは、興味本位だけで飼い始めたペットが、「こんなはずではなかった」と、捨てられたり、ほったらかしにされ、虐待を受けているという事例がたくさんあるといいます。これこそ、かわいそうなことであります。

 人間が、動物を飼うのは、人間が動物に対して、何かを求めているということにおいては、昔も今も変わらないのかもしれません。ただ、昔は、目的が実利的で、あくまで人間が動物よりも上位に立ち、支配しているという関係でしたが、現代では、ストレスが多い世の中ということで、動物に癒されたいという思いが強いように思えます。そうなりますと、人間と動物の関係は、友人のように同等か、むしろ、労って欲しいということになり、動物の方が、上位に立つことになります。

 近年のペットブームは、これまでにない、人間と動物の関係を生み出しています。ゆえに、いろいろ模索していかなくてはならないでしょう。人間関係でも、ただ求めるだけではよい関係は生まれません。動物との関係においても同様で、飼い主には、それなりの覚悟が必要ということでしょう。

(2003/6/18)