麻を担(にな)う

 このところ、また変な宗教団体が、世間を騒がせています。

 第十惑星ニビル星が地球に接近して、壊滅的な大災を受けるとか、ミカエル大王妃と称する教祖を、電磁波のスカラー攻撃から守るためにと、白装束のキャラバン隊を組んだりと、尋常とは思えない発言や行動をしています。

 荒唐無稽な教義・理論ではありますが、危険な終末思想を掲げている点など、かのオーム真理教と共通点も多いということで、別件でではありますが、警察の捜査が入るところとなりました。それにしても、このような組織に、なぜ、信者や資金が集まるのか、不思議に思えます。

 仏典(中阿含経第十六)に、次のような話があります。

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 あるところに、友人二人の男が、家を離れて、旅に仕事を求めてさまよい歩いていました。あるとき、彼らは道に多くの麻が生い茂っているのを見て、持ち主がなさそうなので、相談の上、刈り取り、重いほど背に担って、家に帰って資金の足しにしようとしました。

 二人が、重い麻を背負って歩いていくと、道にたくさんの貝、織物等が持ち主もなく置かれていました。また少し進むと、銀が置かれていました。一人は、その度ごとに、前の麻は捨て、貝、織物を取り、また更に多くの銀と取り換えました。しかし、もう一方の一人は、依然として麻を背負っていました。

 こうして、一人は麻を担い、一人は銀を担って進んでいきました。すると、今度は多くの金塊が、道に持ち主もなく置かれていました。銀を担った男は、麻を担った男に、「こんなにもたくさん金塊がある。しかも所有者もないのだから、値打ちのない麻などは捨てて、二人して持って行こうではないか。そうすれば、たちまち大金持ちになれるよ」といいました。

 ところが、「ぼくは、麻をしっかり背負い込んでしまって、容易には背から下ろせないんだ。それに、せっかく遠方からこうして運んできたかと思うと、今更捨てる気にもなれないんだ。君は欲しかったら、たくさんその金塊を持って行くがいいさ。ぼくに遠慮はいらないよ」といって、金塊を取ろうとはしませんでした。

 あまりの分からなさに、銀を担った男は、ついに怒り出して、相手の男の背中の麻を無理矢理下ろして、捨てさせようとしました。しかし、その男がいうように、しっかりと結び付けてあって、取ろうにも取れません。そして、相変わらず、「堅く結び付けてあるから、簡単には取れないと思うよ。ぼくにはかまわず、君は金塊を持って帰ってくれたまえ」と、あくまで頑な態度であります。銀を担った男は、呆れはて、度し難しと、自分の担っていた銀を捨て、自分だけ、持てるかぎりの金塊を背負って帰ることにしました。

 郷里に着くと、金塊を持ち帰った方の男の両親は、「まあよく帰ってきた。おまえは賢い。こんなにも高価な金塊があるじゃないか。これからは、私どもや妻子ともども豊かな生活ができるよ。僧やバラモンにも布施をすることができ、功徳を積むことができるよ」と、上にも下にも置かず褒めはやして、歓迎するのでありました。

 一方、麻を持ち帰った方の男の両親は、「よくも帰ってきたものだ。こんな麻など重そうに背負ってきて、どうするつもりだ。それで、父母や妻子を養うことができるのか。この大馬鹿者が」と、彼の頭上から、吐き出すように罵声を浴びせかけました。

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 この話は、善を見てもすすんで取ることができない者や、悪だと分かっても捨て切ることができない者は愚かである、との教えの喩えとして説かれたものであります。

 一途であるということは、ある意味ではいいことなのですが、価値のないものを、後生大事に抱えているようでは、麻を持ち帰った男と同様、大馬鹿者に違いありません。

 先の白装束集団は、「第十惑星ニビル星」「ミカエル大王妃」「スカラー波」等々、その軽薄なことばが示すとおり、麻どころか、スフにも劣るものを、捨て切れないでいるようです。

(2003/5/18)