忍土(ニンド)
●春望 杜甫
国破れて 山河在り、
城春にして 草木深し。
時に感じて 花にも涙を濺ぎ、
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす。
烽火 三月に連なり、
家書 万金に抵る。
白頭 掻けば更に短く、
渾て簪に勝へざらんと欲す。
【通釈】
長安の都は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や川は昔のまま残っている。
城には相変わらず春が訪れて来たが、草木が生い茂っているのみでもの悲しい。
こんな時世には、花を見ても、楽しいはずなのにかえって涙ぐんでしまい、心をなごませてくれる小鳥のさえずりにも(警戒心から)心を驚かすのである。
戦火は三か月もの長い間続き、家族からの手紙はなかなか来ないので、万金にも相当するほど貴重に思われる。
自分の白髪頭をかくと、心労のためか髪の毛が短くなってしまい、冠をとめるかんざしさえも挿せないほどになってしまった。
…………………………
この杜甫(七一二―七七〇)の「春望」は、日本において、最も有名な漢詩の一つであろうと思われます。杜甫が安禄山の乱で賊軍に捕まり、長安に幽閉された時の作であります。
春望とは、春の眺めという意味ですが、その春爛漫の景色を見るにつけ、戦禍の惨状に憤り、憂国の感慨しみ入る作品であります。かの芭蕉も、『奥の細道』の中の《平泉》の節で、
さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。
夏草や兵どもが夢の跡
と、これまた、有名な句を残しています。
戦争は、いつの時代にあっても悲惨なものです。戦争の恐さを忘れかけている日本の政治家、特に、あの米国の大統領には、ぜひ味わってもらいたい詩であります。しかし、おそらくは、この奥深い心情をくみ取ることはできないでしょう。そう思うと、ただ、やり切れなさ、無力感で悲しくなります。
今回の米国によるイラク戦争ほど、皆から支持されなかった戦争はなかったでしょう。反戦、反米運動が全世界で広がる中、それを強引に押し切ってまで実行に踏み切ったには、それなりの理由があるのでしょう。
第二次大戦後、四十年間続いた米国対ソ連という冷戦体制がなくなって、あえて、それに匹敵する強敵をもうける必要性があったとの指摘があります。九・一一事件も、パキスタンの諜報機関と、なにやら不可解な関係があったようです。「テロ」や「悪の枢軸」と戦う正義の帝国として君臨し続けるためには、手段を選ばないということでしょうか。犠牲となった人々の苦痛の声が、大統領に聞こえているのでしょうか。
仏典『百喩経』に、こんな話があります。
ある国に、荒々しく惨いことを好む王様がいました。
ある時、政治に筋道がないとこき下ろす者がいるとの噂を耳にし、よく調べもせずに、近臣のことばを信じて、ひとりの賢い家臣を責め、彼の背中から百両だけの肉をはぎ取らせました。
その後、その家臣の無実を知った王は、後悔して、千両分の肉を求めて、百両の肉の代わりに彼に与えました。しかしながら、彼の苦痛は少しも去らないで、昼夜苦しみながら、その苦痛を訴えました。王は不思議に思い、近臣の者に尋ねました。
「なぜ、彼はそんなに苦しむのか。百両の肉の代わりに、十倍の肉を与えたではないか。それでもまだ不足か。」
「大王よ。子の頭を断ち切りましてから、千頭をもってしましても、その子の死は助かりません。十倍の肉をもってしても、いったんはぎ取られた苦痛を、免れ得る道理はございません。」
…………………………
いかがでありましょうか。普通に考えれば、こんな愚かで馬鹿な王様はいないだろうと考えるでしょう。しかし、これは、他人の悲しみや苦しみを分かち合うことのできない、慈悲の心が持てない権力者(殆どがそう)が犯しやすい過ちであります。
ああ、やはりこの世は忍土(娑婆)で、浄土ではないようです。(2003/4/19)