心をもち来たれ

  水墨画家として雪舟(一四二〇〜一五〇六)の名は、世界的に有名です。教科書等にも、たびたび登場しますから、よくご存知かと思います。反面、あまりに有名であるがゆえに、贋作も多くあるようです。

 そんな中、由緒正しい作品として、愛知県常滑市の斉年寺に、『慧可断臂図』があり、国重要文化財に指定されています。「なぜ、常滑に雪舟が」というのは今回は略させていただくとして、非常にインパクトの強い作品で、天才とは、かくあるものかと思わせるほど、改めて雪舟の凄さを感じさせてくれる作品であります。

 神光(四八七〜五九三)という熱心な求道者が、禅宗の初祖と仰がれる達磨(?〜五三〇?)を慕って、崇山の少林寺を訪ねます。達磨は、面壁(壁に向かって)して坐禅をしています。神光は、入門を請いますが、達磨は振り向きもしません。時は冬、宵から降り始めた雪が明け方には、神光の膝を越えます。さすがの達磨も、初めて声をかけますが、それでも入門は許しません。神光は意を決して、自分の左の臂を切って差し出し、求道のためには命を惜しまない決意を示します。

 達磨は、神光に「慧可」の名を与え、入門を許します。そして、慧可は教えを請います。「私の心は、今不安であります。私に、どうぞ安らぎの心をお与え下さい」と。

 達磨は、「よろしい、お前の心を安らかにしてあげよう。その不安の心をここへ持ってきなさい」と命じます。そういわれた慧可は、「不安の心を探し求めましたが、探しえることができません」と答えます。達磨はいいます。「お前の心に不安はない。私は、安心を与え終わった」と。

 以上のような問答、そして、それぞれ二祖の心の動きを、雪舟は一枚の画で見事に表しています。

 さて、この画材となっているようなことは、きわめて非日常的なことでありますが、慧可の「自分は今不安である。安心を与えてほしい」という思いは、誰もが持っている願いでありましょう。

 達磨がいう「不安な心がどこにあるか見つからなければ、安心を与えたことになる」というのは、詭弁のようにも思えますが、不安の心の元を探し求めること、また、その過程の大切さを教えているのだと思います。

 次は、仏典からのお話です。

 仏陀が活躍されていた頃に、キサー・ゴータミーという名の女性が住んでいました。結婚してかわいい男の子に恵まれたのですが、幼くしてその子が突然死んでしまいました。気も狂わんばかりに母は、わが子を抱き、この子が生き返る薬はないかと、市中を歩き回りました。この様子を見てあわれんだ男が仏陀のところに行くことをすすめました。

 仏陀はゴータミーに向かって、告げました。「未だ死人の出ていない家から、芥子の粒をもらってきなさい。そうすれば教えてあげよう」と。ゴータミーは街に出て、一軒一軒死人が出たことのない家を尋ね歩きました。しかし、未だ死人を出したことのない家など、どこにもありませんでした。ずいぶん尋ね歩いて、彼女はついに気づくのでした。「人は必ず死ぬものである。この世はすべて無常であり、永遠のものなどどこにもない」と。

 いかがでありましょうか。わが子を亡くすという、この上もない苦しみと不安から開放されるには、相当な時間と、「人は死ぬものである」という事実を受け入れることが必要だったのです。すなわち、真実が明らかにならなければ、人は、諦めることはできません。

 人間は、生老病死という、苦と不安の中で生きています。できれば、慧可のように臂を断ぜずとも、安心を得たいわけで、そのときにこそ、法然上人の「只一こうに念仏すべし」が生きるのです。現実をしっかりと見据え、すべてを弥陀に任せるのがいちばんです。

(2002/10/18)