月を掬う


 弥次喜多道中で知られる『東海道中膝栗毛』は有名ですので、よくご存じかと思います。それよりも前、江戸時代初期の仮名草子に、『竹斎』という物語があります。

 京都に住む薮医者の竹斎が、患者もこない生活に見切りをつけ、下僕のにらみの介と諸国行脚を思い立ち、まず見納めにと、京の名所旧跡を巡ったのち、東海道を下り、名古屋に三年間住み、ここで珍妙な療治をして失敗、ふたたび旅に出て、名所古跡を訪れ、江戸ではその繁盛ぶりをたたえ、安住を願うという筋であります。前述の『東海道中膝栗毛』を含め、後の名所記物の原型となったとされる作品です。

 作者は、伊勢松坂生れ、江戸住みの医者磯田道冶だといわれています。古歌、謡曲、狂言などにも通じ、古典教養からくる啓蒙的態度が色濃い作品であるともいわれています。

 よって、その文中に、「菩提は水に澄める月、手に取るに取られず。煩悩は家の犬、打てど門を去らず」という一節があります。これはおそらく、法然上人の「煩悩は身に添える影、さらんとすれどもさらず。菩提は水に浮かべる月、取らんとすれども取られず」を承けてのものだと思われます。

 ときに、月が美しく見える季節になりました。澄んだ望月を眺めていると、確かに月は、一切の迷いから解放された境地、菩提(さとり)を象徴するにふさわしい存在であります。そして、志ある者であれば、その結果の獲得を願うのは、当然といえば当然であります。しかし、法然上人は、それは絶対に叶わないことであるとおっしゃっておられるのです。

 志を持った者にすれば、その断定的な結論付には辛いものがあります。それならば、どうしたらよいのでしょうか。八世紀の中国での話です。

 道一という、若くて修行熱心な僧がいました。毎日、夜昼となく坐禅に励んでいるのを見て、南嶽和尚は、その力量を試してみることにしました。

 「お前は、いったい何のために坐禅をしているのか?」

 「はい、仏になるためです。」

 それを聞いた南嶽和尚は、やおら庭に降りると、そこに落ちていた瓦のかけらを拾ってきて、傍らの石を砥石がわりに、ごしごしと磨き始めました。

 「師は何をなさろうとするのですか?」

 「鏡を作ろうと思ってな。」

 「瓦をいくら磨いても、鏡にるわけがありません。」

 「そうか、ならば坐禅をしても、仏には成れないわけだ。」

 道一は、非常にショックを受け言葉を失いました。それはそうでしょう。目標を足元からすくわれたわけですから。私どもの場合でも、「さとり」云々といったたいそうな目標ではないにしろ、努力している側から、「お前にはとうてい無理、無理」なんていわれ、愕然とさせられた経験があるのではないでしょうか。

 これは、南嶽が、「瓦を磨いて鏡にする」という、むだ骨をおる徒労のような愚行を示すことによって、無所得の修行の大切さを教えたものだといわれています。

 無所得といいますと、一般には、収入がないこと、獲得するものがないことを意味しますが、仏教においては、得るもののないことが、執着のない状態と結びつくとみなされるのです。

 私どもは、どうしてもひとつひとつの行為に対して、結果や報酬を求めてしまいます。そのため、よい結果が得られなかったり、報酬が得られなかったりすると、挫折感を味わったり、不満が出てきたりします。しかし、無所得の理念を持っていれば、自分のした行為に、何らかの報いがあったとしてもそれを誇らず、報酬がなかったとしても腐ることなく、結果のいかんにとらわれない、おおらかな心でいられるというわけです。

 別の言い方をすれば、方法(手段)と目的とに分別しないということです。手段(修行)は目的(さとり)のためではなく、手段や方法の過程が、そのまま目的を遂行していることになるという考え方です。

 水に浮かぶ月は掬い取れないからといって、月そのものを眺めることをやめてはいけません。めでる心は養わなくてはなりません。ただ、完全といったことを求めるのではなく、「骨折れば、骨折っただけの収穫がある」くらいの気持でいきましょう。あとは、阿弥陀さまにお任せすればいいのです。

(2002/9/19)