月とウサギ
俳句の季語に「盆の月」というのがあります。盂蘭盆会の夜の月のことで、旧暦の七月十五日、今年の場合でいえば、八月二十三日になります。中秋の名月とは季節的にも、気持的にも、また違った雰囲気を持った月であります。
日本において、古来より、月とウサギとは縁が深いものとされていますが、これは『ジャータカ』とよばれる古代インド(紀元前三世紀頃)の仏教説話に、その源流があるもののようです。ご紹介しましょう。 ………………
むかしむかし、あるところにウサギとキツネとサルの三匹が棲んでいた。ある時彼らは話し合った。
「われらは、前世に罪障が深かったため、獣として生を受けた。この上は、後世のため、この身を棄ててでも、菩提の心を奮い起こそう。また、どんなことでも、自分のことは後回しにして、他人のことを先にすることを誓い合おう。」
この話を聞いていた帝釈天は、
「獣でありながら、実に感心な者たちだ。その清らかな心がけは、実に見上げたものである。ならば、まことの菩提心があるかないか、試してみることにしよう。」
といって、老人の姿になって、三匹が棲んでいるところへ出向いた。
そして、三匹の姿を見つけると、悲しそうに声をかけた。
「わしはご覧のとおり、年老いており、身寄りも貯えもない。わしを養ってはくれまいか。」
この老人の話を聞き、三匹は、快くその申し出を受け入れた。
さっそく、サルは木によじ登って木の実を集めたり、里に出かけて、食べ物を探してきた。キツネは、川で魚をつかまえ、持ち帰ってきた。そのおかげで、老人は、毎日、食に困るようなことはなかった。老人は、その都度、サルとキツネを労い、大いにほめた。
一方、ウサギは、いつもサルとキツネだけがほめられ、自分だけが老人に何も食べさせることができず、心が落ち着かなかった。毎日、朝早く起き、長い耳をピンと立て、赤い目を光らせ、鼻をヒクヒクさせながら、四方を駆け回った。しかし、ひ弱なウサギには、老人の腹を満たすような獲物を捕らえることなぞできなかった。
そんなウサギに対して、サルとキツネは、わざと辱めたり、ののしったり、バカにしたりもした。
そんなウサギは、ふと、首をかしげて考えた。
「自分は小動物なので、獲物を見つけるどころか、山野を駆け回っているときでさえ、人間や猛獣に襲われはしまいかと、ビクビクしていなければならない。それならばいっそのこと、この身を老人に捧げてしまった方が、いいのではないか。」
そう決心したウサギは、皆のいるところに戻るといった。
「今から、わたしが美味しいご馳走を持って参りますので、皆さんは、木を拾ってきて、火を焚いて待っていて下さい。」
そういい終わるやいなや、ウサギは一目散にどこかへ駆け出していってしまった。
ウサギの話を聞いた老人とサルとキツネは、ウサギがどんな物を持って帰ってくるのかと、胸をワクワクさせながら、焚き火の準備にとりかかった。
火がゴウゴウと音を立てて、勢いよく燃え上がった頃、ウサギは戻ってきた。しかし、その手には、何も持っていなかった。
サルとキツネは、だまされたと思い、
「おれたちをだますとは、酷い奴だ。木を拾ってこいだとか、火を焚きつけておけだとか、さんざん人をこき使っておきながら、手ぶらで帰ってくるとは何事だ。お前は、自分が暖まりたいから、、そんなウソをついたんだな。」
と、激しくののしった。
だが、ウサギはそんなことばには耳を貸そうともせず、静かに、こういった。
「皆さん、わたしはウソをついたのではありません。わたしには、獲物を捕らえることが出来ません。せめて、この身をもって供養させていただきます。」
話し終わるや、ウサギは、パッと燃えさかる火の中に飛び込み、そのまま焼け死んでしまった。
この意外なできごとに、帝釈天は大いに哀れみの心を起こし、ウサギのこの純真な真心を永遠に残しておこうと、火の中に飛び込んだウサギの姿を月の中に宿し、すべての人々に見せることにしたのである。 ………………
いかがでありましょうか。盆の月を眺め、ウサギの悲しくも、痛いまでの真心を感じて下さい。(202/7/19)