修身から

  以前、古本屋にぶらっと立ち寄ったときに、〈尋常小学校『全科学習書』第一学年前期 東京学習社発行〉を見つけ、購入してきました。表紙に「寄贈」という丸印が押してあり、どういうルートで店頭に出たものかは不明ですが、状態のよいきれいな本であります。ひょっとすると、復刻版かもしれません。

 巻末に、昭和六年三月一日発行とありましたので、大正三年生まれの父、大正十三年生まれの母に聞きましたところ、『ヨミカタ』の「ハナ」「ハト」「マメ」がすらすらっと出てきたのには驚きました。体裁はどうも違うようですが、内容的には、両親たちが学んだものと、多分同じものではないかと思われます。

 科目は、シウシン(修身)・ヨミカタ(読み方)・カキカタ(書き方)・ツヅリカタ(綴り方)・ヅグワ(図画)・シユコウ(手工)・シヤウカ(唱歌)・イフギ(遊戯)・サンジユツ(算術)、以上の九教科であります。

 ページの初めに『修身』がきているということは、当時の教育が、どこに重きを置いていたか、分かるような気がします。ちなみに、どんな徳目があるかというと、「よく学び、よく遊べ」「時刻を守れ」「怠けるな」「友達は助け合え」「ケンカをするな」「元気よくあれ」「食べ物に気をつけよ」「行儀よくせよ」「始末をよくせよ」「モノを粗末に扱うな」「親の恩」「親を大切にせよ」「親の言いつけを守れ」の十三です。原文は、こんな具合に書いてあります。

一 ヨク マナビ ヨクアソベ
アサ ハヤク オキ テ ゲンキ ヨク ガクカウ ヘ イキマス。
ガクカウ デハ オギャウギ ヨク センセイ ノ オハナシ ヲ キキマス。
オコタヘ ハ オホキナコヱ デ ハツキリ マウシマス。
ヨソミ ヲ シテ ハ イケマセン。

 いかがでありましょうか。戦前教育を受けた方々にとっては、非常に懐かしく、感じられるのではないでしょうか。

 子育て放棄の親の出現、いじめや学級崩壊などといった学校教育の荒廃、そんなニュースが日常茶飯事の昨今ですから、目上を敬い、規律を守り、勤勉であれといった、単純明快で分かりやすい『修身』の復活を望む声が、今後、よく聞かれるようになるのではないかと思われます。

 ただ、そういった動きには注意が必要です。これまでの歴史を振り返ってみますと、世の中の秩序が乱れたとき、いろいろな面で、後戻りしていく傾向があるからです。先のフランスの大統領選挙において、極右勢力がかなり台頭してきたというのも、その現れのようであります。

 日本においても、グローバル(全世界的)な観点で物事を見ていこうという気運が高まりつつある中、一方では、それに逆行する動きも出てきています。小泉首相が、靖国神社を公式参拝することにこだわっているというのも、その一つです。

 戦犯を祀ってある宗教施設に参拝することに批判が集まっていますが、問題は、もっと別のところにあります。

 靖国神社は神道です。神道は、日本民族だけの宗教です。国家元首が、民族だけの宗教に固執していることを世界に向けて発信しているとなれば、国粋的、右翼傾向にあると見られても仕方ないところでしょう。しかも、今国会での有事関連法案の提出に見られるように、日本は、また危ない方向に、逆戻りしていくようで、怖いのです。

 これから、日本がグローバル化を目指すのであれば、宗教に学ぶべきことが多くあります。

 宗教は、世界宗教と民族宗教とに大別されます。神道・ユダヤ教などのように一民族しか救わない民族宗教に対して、仏教・キリスト教・イスラム教が、なぜ民族を超えて信仰され、世界宗教になり得たかを考えるべきです。

 仏教の基本は、八正道であるといわれています。すなわち、@正見(正しい見解、人生観、世界観)A正思(正しい思惟、意欲)B正語(正しいことば)C正業(正しい行い、責任負担、主体的行為)D正命(正しい生活)E正精進(正しい努力、修養)F正念(正しい気遣い、思慮)G正定(正しい精神統一、集注、禅定)の八つです。

 この教えは、時代を超え、民族を超え、仏教者の実践のあり方を指示しています。世界・人間を考える上で、我々の指針となり得るのではないでしょうか。