ライバル

 われわれ、人生を歩んでいく中で、時として、ライバルと巡りあうことがあるものです。ライバルは、疎ましい存在に思えることもありますが、お互いの力量が、拮抗しておればしておるほど、奮い立つものではあります。ただし、初めからある差は、たとえ僅かでも、そう簡単に詰め寄れるものではないようです。こんな話があります。

 釈尊には、たくさんの弟子たちがいました。中でも十人の傑出した特性を持つ十大弟子のことは、経典にもたびたび出てきます。

 @舎利弗(智慧第一)、A目連(神通第一)、B迦葉(頭陀―苦行による清貧の実践―第一)、C須菩提(解空―すべて空であると理解する―第一)、D富楼那(説法第一)、E迦旃延(論議第一)、F阿那律(天眼―超自然的眼力―第一)、G優波離(持律―戒律の実践―第一)、H羅喉羅(密行―戒の微細なものまで守ること―第一)、I阿難(多聞―釈迦の教えをもっとも多く聞き記憶すること―第一)の十人ですが、舎利弗は、飛び抜けていたようです。

 舎利弗は、若いころから学問に優れ、当時もっとも有名な論師の懐疑論者サンジャヤの弟子となり、目連とはそのころからの親しかったといいます。ところが仏弟子のアッサジとの出会いをきっかけに、目連とともに仏弟子となります。とくに智慧に優れ、釈尊にかわって説法もしたといいます。釈尊より年長で、釈尊入滅以前に没したといわれています。

 ある時、目連が、釈尊から舎利弗を呼んでくるよう言い付けられたことがあります。遠く離れておりましたが、そこは神通力の得意な目連であります。すぐさま舎利弗の前に姿を現すと、当の舎利弗は、僧園のたくさんの衣の繕いをしていました。

 「釈尊がお呼びだからすぐにいっしょに行こう」と目連が促すと、「縫い終わるまで待ってくれ」といいます。それならということで、目連は、神通力でもって、五本の指を針に変えて、ささっと縫い終え、「さあ、いっしょに」というと、「後から行くから、先に行ってくれ」というではありませんか。

 目連は、「いっしょに来てくれなければ、腕ずくでも連れて行く」と、神通力でもって、引っぱろうとするのですが、ビクとも動きません。そこでしかたなく、目連は、先に釈尊のところへ先に帰ることにしました。

 ところが、帰ってみると、もうそこには、舎利弗が涼しい顔をして座っているではありませんか。居合わせた仏弟子たちも、神通第一といわれる目連が、どうして舎利弗に負かされたか不思議に思い、釈尊に尋ねたところ、次のような物語をされました。

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 むかし、中インドに、一人の絵師がいた。所用のため他国に旅して、ある絵師の家に泊まった。そこの主人の絵師は、からくり仕掛けの美しい女の人形をきれいに装わせて、給仕をさせた。やがて夕食が終わって、旅の絵師は、からくりの娘に向かって、「ここにおいで」とことばをかけたが、彼女はただ座っているだけである。そこで、彼女の手を握って引き寄せた。すると、つがいがはずれて、手足がバラバラになってしまった。旅の絵師は、すっかりだまされた自分を恥じ、同時に、こんないたずらをした主人に、仕返しをしようと考えた。

 彼は、部屋の壁に、首をつっている自分の姿を描き、自身は押入に隠れた。翌朝、日が高くなっても客人が起きてこないので、主人は怪しんで、部屋をのぞいて仰天した。主人は、自分がつまらぬいたずらをしたために、恥じ入って自殺したに違いないと思って、あわてて役所に届け出た。

 やがて来た検死の役人から、綱を切って死体をおろすようにいわれ、主人は、斧でもって綱を切ろうとするが、死体は恨めしそうな顔をして、壁にぶら下がっているばかりである。よくよく見れば、それは巧みに描かれた死体の絵姿であった。

 主人は、絵と本物との見分けが出来なかった自分のそこつを恥じるとともに、役人には大いに叱られたという。

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 釈尊がおっしゃるには、旅の絵師は舎利弗であり、からくりを作った主人は、目連であると。

 ライバルが、いい意味で競い合うのはいいのですが、自身の力量の正しい判断ができないと、いつも醜態をさらし、惨めな思いを味わうことにもなりかねません。

(2002/5)