二月十五日

 もう二月、今年も、十二分の一が過ぎました。なんていいますと、えらく気忙しく感じます。

 ふつう、われわれは、一週間単位のサイクルで行動することが多いものです。その一週間単位で考えると、一年は五二週と一日ですが、一日単位であれば、一年はもちろん三六五日、一時間単位であれば八七六〇時間ということになります。それが一月単位であれば、一年は十二ヶ月にしかなりませんから、同じ一年でも、サイクルの単位のとらえ方によって、ずいぶん印象が違ってくるわけです。

 年を召した方が、「一年なんて、すぐ過ぎてしまう」と、よくおっしゃるのは、子どもの頃は、短いサイクルの単位で行動していたのが、年を重ねるにしたがって、長いサイクルの単位に変わってくるからだと思われます。

 ともあれ、サイクルの長短に関わらず、同じことの繰り返しでは、変わりばえしませんが、祝祭日やいくつかの記念日があることによって、生活にメリハリが出てくるものです。そこで、生活に張りを持たせるという意味で、「記念日を上手に使おう」、ということを提唱したいと思うのであります。

 ご存じの方も多いかと思いますが、現代歌人俵万智さんの、

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

――のような私的な記念日を作ることも、楽しいことであります。

 ただ、自分の誕生日すら、うっかり忘れてしまうような人には、あまり期待はできそうにありませんが…。

 そんな人のために、さまざまな記念日を一冊の本にまとめたものが、何冊か出ています。私の手元にあるのは、『史話366』(ブリタニカ編)というものですが、見ていて飽きないものです。

 また、インターネットの検索で、「記念日」で調べてみますと、あるものですね。さまざまなデータベースが用意されていて、「今日は何の日」形式のものは、それぞれ趣向を凝らしたものがいくつもありますし、「宇宙の誕生から現在までの約六万六千件の歴史データ」といった、資料的価値のあるものまで、それはそれは興味深いものがあります。

 ただ、当方といたしましては、どのデータベースにおきましても、仏教関連の記述は少なく、やや物足りなく感じます。来る二月十五日は、お釈迦様がお亡くなりになった日(涅槃会)で、仏教徒として、少なくとも、お生まれになった四月八日(降誕会)と、お悟りを開かれた十二月八日(成道会)とともに、ぜひともおさえておいて欲しい記念日であります。

 ときに、有名な『平家物語』の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とありますが、「娑羅双樹の花の色」は何色かご存じでしょうか?

 答えは、白色であります。今日の葬儀でも、これを模して、祭壇の上部両脇に飾ります。ちなみに、先ほど紹介した、お釈迦様の記念日には、それぞれを象徴する樹木がありまして、涅槃の時は「娑羅樹」、降誕の時は、「無憂樹」、成道の時は、「菩提樹」で、これらを仏教における三大聖木といいます。

 娑羅樹の場合、なぜ娑羅双樹なのかについては、

 『大般涅槃経後分』によれば〈四双八隻〉、すなわち釈尊の臥所の東西南北に各一対の娑羅樹があり、涅槃に入ると同時に東西の二双、南北の二双が合してそれぞれ一樹をなし、釈尊を覆ったという。そのとき各樹は即時に白変し、あたかも白鶴のようであったと説かれ、ここから〈鶴林〉の語が生れた。また『大般涅槃経疏』は八樹のうち四樹は枯れ四樹は栄えたと説き、これを〈四枯四栄〉という。

――と、岩波仏教辞典にあります。

 お釈迦様は、クシナガラというところで、八十才で入滅されています。直接の原因は、チュンダが供養した茸(一説に、豚の干し肉)による、食あたりであるといわれています。

 一般的な涅槃図は、双樹下の宝座に北を枕にし、右脇を下にして横臥するお釈迦様を取囲んで、菩薩・天部・弟子・大臣などのほか、鳥獣までが泣き悲しんでいる姿、樹上には飛雲に乗って、臨終にはせ参じようとする仏母摩耶夫人の一行が描かれています。他にも、娑羅樹の描き方などに違いのあるものもありますので、ご自身で確かめられ、二月十五日を、大切な記念日に加えていただけるとありがたいです。(2002/2)