白馬は馬に非ず(その2)

 世界を震撼させた大事件は、ニューヨークとワシントンで、九月十一日の朝起きました。おそらく、五千人を超える犠牲者が出るのではないかと(十七日現在)懸念されています。民間航空機を乗っ取っての自爆テロという、悲しく許し難い行為です。

 ブッシュ大統領は、すぐさま、これを、民主主義国家への宣戦布告として、同盟国に協力を求め、報復の戦争を行うと宣言しました。これに対し、日本を含め、ヨーロッパ各国や多くの国々が協力を惜しまないと声明を出しています。

 今後、米国は、イスラム原理主義テロ集団の首謀者と目されるウサマ・ビンラディン氏をかくまうアフガニスタンのタリバン政権に対して、強硬な手段を執っていくことでしょう。

 先に、『白馬は馬に非ず』と題し、近々、米国による戦争の可能性を指摘させてもらいましたが、まさかこのような形で現実のものとなろうとは、思いも寄りませんでした。

 世界貿易センタービル・ペンタゴン(国防総省)という、米国の経済・防衛の要が破壊されたわけですから、威信にかけてもという、米国の国民感情は分かります。が、あまりに早急な対応に、疑問を覚えます。双方、どんな詭弁を弄そうが、白馬は間違いなく馬であり、戦争はあくまで悪であります。聖戦なぞ、あり得るはずがありません。

 しかも、事件の規模の大きさは、米国に対する憤懣の大きさを意味するものでしょうから、対イスラム勢力政策ばかりではなく、自国の利益を最優先する一方的外交(ユニラテラリズム)への反省なしに報復戦争を行えば、事態はさらに悪化することでしょう。

 しかし、当初、報復一辺倒だった米国世論も、冷静な意見も出始めています。あのマドンナが、コンサートの中で、「報復は報復を生むだけ」と、報復反対のアピールをしたとのことです。勇気あるこの発言に、少しでも多くの人が耳を傾けてほしいものです。

 ところで、この問題は、宗教にも深くかかわりがあり、仏教においてはどうかということで、『仏教聖典』の抜粋を掲載させていただきます。

 昔、長災王という王があった。隣国の兵を好むブラフマダッタ王に国を奪われ、妃と王子とともに隠れているうちに、敵に捕らえられたが、王子だけは幸いにして逃れることができた。

王が刑場の露と消える日、王子は父の命を救う機会をねらったが、ついにその折もなく、無念に泣いて父の哀れな姿を見守っていた。

 王は王子を見つけて「長く見てはならない。短く急いではならない。恨みは恨みなきによってのみ静まるものである。」と、ひとり言のようにつぶやいた。

 この後王子は、ただいちずに復讐の道をたどった。機会を得て王家にやとわれ、王に接近してその信任を得るに至った。

 ある日、王は猟に出たが、王子は今日こそ目的を果たさなければならないと、ひそかにはかって王を軍勢から引き離し、ただひとり王について山中を駆け回った。王はまったく疲れはてて、信任しているこの青年のひざをまくらに、しぱしまどろんだ。

 いまこそ時が来たと、王子は刀を抜いて王の首に当てたが、その刹那父の臨終のことばが思い出されて、いくたびか刺そうとしたが刺せずにいるうちに、突然王は目を覚まし、いま長災王の王子に首を刺されようとしている恐ろしい夢を見たと言う。

 王子は王を押さえて刀を振りあげ、今こそ長年の恨みを晴らす時が来たと言って名のりをあげたが、またすぐ刀を捨てて、王の前にひざまずいた。

 王は長災王の臨終のことばを聞いて大いに感動し、ここに互いに罪をわびて許しあい、王子にはもとの国を返すことになり、その後長く両国は親睦を続けた。

 ここに「長く見てはならない。」というのは、恨みを長く続かせるなということである。「短く急いではならない。」というのは、友情を破るのに急ぐなということである。

 恨みはもとより恨みによって静まるものではなく、恨みを忘れることによってのみ静まる。

 和合の教団においては、終始この物語の精神を味わうことが必要である。

 ひとり教団ばかりではない。世間の生活においても、このことはまた同様である。

(2001/10)