からくり小箱

 明けまして、おめでとうございます。旧年中は、いろいろお世話になりましてありがとうございました。本年も、なにとぞよろしくお願いいたします。

 さて、近年お正月といいましても、随分と様変わりしてきました。

もういくつねると
おしょうがつ
おしょうがつには
たこあげて
こまをまわして
あそびましょう
はやく こいこい
おしょうがつ

もういくつねると
おしょうがつ
おしょうがつには
まりついて
おいばねついて
あそびましょう
はやく こいこい
おしょうがつ

作詞●東くめ 作曲●滝廉太郎

 この童謡の『お正月』に歌われるような風情が、私の子供の頃は、多少なりとも残っておりましたが、今では、もうすっかりなくなってしまったようです。残念なことです。

 風俗というものは、時代とともに移り変わってゆくものですから、致し方のないことなのかもしれません。しかし、私自身、少年期のお正月を思い起こしてみますと、実になつかしいものがあります。テレビが普及していなかった頃ですので、たこ揚げ・コマ回し・双六などお正月の定番ともいえる遊びはもちろんのこと、熱田神宮へ行くのが何よりいちばんの楽しみでありました。

 子供のこととて、初詣に参拝というわけではもちろんなく、参道にずらっと並んださまざまな露店をのぞいて歩くのが、お目当てでありました。参道は、小学校の通学路でもあったところで、そこに、普段とは違う賑わいがあるということは、心ときめくものがあったのです。

 克明に覚えているというわけではありませんが、確か、神宮の正門(南門)辺りは、羽子板や暦の類を売っている店が多くありました。今でこそ、カレンダーは、何処の家庭でも、いただきもののいくつかがごろごろしていますが、以前は、初詣の折に買う縁起物でもあったということでしょう。

 西門の辺りの様子は、あまり記憶がありません。といいますのも、興味を引く店が少なかったからであります。それに引き替え、東門から本宮へ行く参道は、それはそれは、面白かったのであります。その理由は、多くの参拝者は、名鉄や市電の神宮東門駅を利用していて、人通りがいちばん多かったからです。

 東門のところには、ちょっとした広場があって、そこには見せ物小屋が立っていました。私は、恐くてよう入りませんでしたが、記憶にあるのは、”親の因果が子に報い”式の「カニ人間」なる見せ物で、「ろくろ首」などと同類のものだったと思われます。落語に、血の付いた大きな板が立てかけてあるだけの「大イタチ」というインチキ見せ物小屋の話が出てきますが、それに近いものだったに違いありません。

 香具師(ヤシ)、あるいは的屋(テキヤ)と呼ばれる露天商には、空き地で弁舌巧みに薬などを売る大〆(オオジメ)、地面に座るか卓を置いて新案品を売る転(コロビ)、盛り場などの組立て式の床店の三寸(サンズン)、風船・飴などを売る小店(コミセ)、興行の高者(タカモノ)、植木屋の木(ボク)という具合に、それぞれ区別があるのだそうです。なかでも、大〆・転と称される香具師の弁舌はまさに大道芸、ワクワクするものがありました。

 まず、地面に棒で丸く線を引き、最前列の子供たちを座らせ、取り出した薬でもって、顔に出来た大きなほくろを取ったり、包丁で傷つけた自分の二の腕の傷をたちまち治したり、ハブにかまれても、これをつければ大丈夫だとか、手に擦りつけて、空手で瓦を何枚も割わるパフォーマンスをして見せたりと、それはそれは、食い入るように見ていたものです。

 軟弱であった私は、この薬をつければ強くなれるかもしれないと本当に思い、欲しくって欲しくってしょうがありませんでした。しかし、終い際に、だんだん値が下がってはきても、子供の小遣いからすればかなりの高額で、ついぞ買うことは出来ませんでした。今から思えば、ハブにかませるところはおろか、ハブだといって持っていた袋の紐を解いたところを、一度も見たことがありませんでしたので、やはり、インチキだったのでしょう。

 誘惑に負けて、ついに買ってしまったものに、強い塩酸にも溶けないという、十四金のペン先の万年筆と、箱根細工のからくり小箱があります。万年筆は、あえなくすぐに壊れてしまいましたが、からくり小箱は、今も私の引き出しの中に、その頃の思い出ともにひっそり眠っています。 (2001/01)