◆創作仏教落語◆ 阿僧祇劫(あそぎこう)

  今年も、年の瀬がやってまいりました。しかし、今年の場合は、二十世紀最後の年だというんで、そりゃあもう、あっちもこっちも大変なようで……

 「大変だ、大変だ、ご隠居。のんきに炬燵になんぞ入って、ミカンなんか食ってる場合じゃないでやんすよ」

 「熊さん、何をそんなに慌てているんだい」

 「何が大変だって、世紀末が来るっていうのに、じっとなんかしていられるかいてんだ」

 「ほほお、世紀末だっていうと、何ぞかやって来るんかね」

 「やって来るの来ねえのって、えっ、ひょっとして、何にも来ねえなんていうんじゃねえんでしょうね」

 「ああ、その、何にも来ねえっていうやつだ」

 「冗談じゃねえ、何か来てくだせいよ。ご隠居、何でもいいから、連れてきてくだせいよ」

 「まあ、強いて来るといやあ、二十一世紀が来るな」

 「梨の二十世紀やミルクセーキならまだしも、二十一世紀じゃあ食うにも食えねえ」

 「相変わらずだなあ、熊さんは。ところで、今度やって来る二千一年というのは、熊さんにとって、長い時間かね、短い時間かね」

 「そりゃあ長いに決まってらあね。いくらあっしが長風呂だといったって、そう入っていたらのぼせちまうわな」

 「あきれたねえ。信長が、敦盛という能の謡曲〈人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり〉を舞って出陣したというのは有名な話だが、そこに出てくる下天というのは、なんだか知ってるかい」

 「合点(下天)だ、といきたいところが、トコロテンの親戚とは違うんですかい」

 「テンで見当違いというもんだ」

 「ご隠居の洒落は寒いねえ」

 「われわれみたいに欲を持った者が住む世界というのは六つあってな、それを六道というんだな。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上というのがそれで、ランクがあるというわけだ。また、天上界の中にもランクがあってな、一番下にあるのを下天といって、四天王が住んでいるところで、ここの住人の寿命は実に九百万年。人間の寿命なんぞ、夢幻のようなもんだというわけだな」

 「あっしがそんなところに生まれでもしたら、自分の歳が数え切れねえやな」

 「まだ驚いちゃあいけねえよ。下天というからには、さらに上があってな、六欲天の最上の天上界の住人の寿命は、なんと九十二億千六百万年ということだ」

 「へーえ、百万才とか一億才の天女さんっていうのは、お婆とは違うんですかい。あっしは年増より、やっぱり若い方がいいやな」

 「何いってんだい。そんなこといっていると地獄に堕ちて、それこそ大変だ。地獄の寿命、といっても刑期のようなもんだが、これがまたすごい。一兆六千四百二十五億年というからどうだ。釜ゆで二千年くらいでのぼせているようじゃあ、地獄では務まらんぞ。なあ、熊さんや」

 「違えねえ。くわばら、くわばら」

 「おもしろい話がある。お経の中に、劫というおそろしく長い時間を表す単位があってな、縦横高さ一由旬(約七q)の鉄城に芥子粒をつめて、百年に一粒ずつ取除いて、すっかりなくなってしまう時間を芥子劫というんだな」

 「へーえ、驚いたねえ、芥子っていうと、あのあんパンの上に乗っかっているやつでやんしょ」

 「そうそう、ごまの半分ほどもない小さな粒だな」

 「別の経典によると、縦横高さ一由旬の大岩を、天女が天から百年ごとに下りてきて、羽衣でひと触れしているうちに、ついにその岩がすりへってなくなってしまうのを磐石劫というのだそうだ」

 「それいいねえ。あっしの顔もついでに、その羽衣でなでてもらいてえもんだ」

 「何を馬鹿なことをいってんだい。お前さんの場合、すり減るどころか、鼻の下が伸びてしまってどうする」

 「これよりも長い、宇宙のサイクルを表す大劫とか、それよりも長い阿僧祇劫というのもあってな、これからすりゃあ、二十一世紀というが、まさに束の間にすぎんということだ。時に、熊さん、晦日までには金返してくんなよ」

 「ああ、ちょいと、阿僧祇劫ほど待ってくんな」

(2000/12)