蓮華色比丘尼(れんげしきびくに)

 世の中には、なぜにこうも巡り合わせが悪く、数奇な運命にもてあそばれているのではないかと思われる人がいるものです。仏典の中にも、そんなひとりの女性が登場します。

 その女性は、肌の色が蓮華の内部のように美しいところから蓮華色(ウッパラヴンナー)と呼ばれていました。彼女は、コーサラ国の首都、舎衛城(シラーヴァスティー)の豊かな家に生まれました。相当な美人であったのでしょう、ヴァンサ国の首都優善那(ウッジェニー)のひとりの青年に見初められ、結婚を申し込まれます。そして程なく、彼女は身重となって、両親の里に帰り、女の子が産まれます。

 ところが、蓮華色の夫は、お産の褥に体を養っている妻に会いに来つつ、こともあろうに、忍んで彼女の生みの母親と通じてしまうのでありました。それを知った、蓮華色の悲しみは、いかばかりであったでしょう。不倫な夫を捨てるにしても、我が娘の行く末が案じられ、また、許し難い母のいる里に残ることもできかね、いっそのこと、旅に出てしまおうかとも、いろいろ思い悩んだことでありましょう。しかし、蓮華色は、恥を忍び怒を呑んでとりあえずは夫の家に戻ります。

 そして、歳月は流れ、娘が八歳になったある日、蓮華色は、意を決し、ひとり家を出ます。着の身着のまま飛び出してきたがため、飢えと渇きと疲れとで、波羅奈(ヴァーラーナシー)国ベナレスの町のはずれまで来て、行き倒れてしまいます。そこを通りかかった、金持ちの商人に助けられ、ここでも美貌が幸いしてか、妻として迎えられます。

 それから八年、幸せな日々を送っていたある日、夫が、商用であの優善那(ウッジェニー)にいくことになり、蓮華色は、「優善那というところは、風紀紊乱なところと聞いております。どうぞ女性にはお気をつけくださいまし」と、釘を差して、送り出したのでした。

 夫の仕事は順調にいき、大いにもうけ、その分滞在も長くなりました。そんな時、男というのはいけません。妻とあれだけ誓ったにもかかわらず、たまたま出会った、妻に似た若くて美しい女性に惚れ込んでしまい、大金を与えて、「妾としてならよかろう」ということで、二番目の妻として迎え入れてしまいます。

 そして、仕事を終えベナレスに帰るにあたり、さすがに蓮華色への気兼ねから、連れてきた二番目の妻は別宅に住まわせることにしたのです。しかし、女の勘というものは鋭いもの、「わたしは嫉妬がましいことは申しませんから、家にお連れくださいまし」と、蓮華色は夫に促すのでした。

 それで、三人で暮らすことになり、会ってみれば、まだ二十歳にも満たないうら若き女性、蓮華色は、何かとよく面倒を見てやるのでした。ある日、蓮華色が、彼女の髪をすいてやっているとき、思わず手が凍ったように止まりました。蓮華色が残してきた一人娘の身体の特徴と、ことごとく一致するではありませんか。おそるおそる、その生家、父母の名を聞いて愕然とします。

 かつては、母と夫を共にし、今や、また自分の娘と夫を共にするという悲しくも、浅ましい運命に打ちひしがれ、蓮華色は、出家を決意します。釈尊のもとに馳せ、修行に励み、ついに阿羅漢果を得ることが出来たといいます。

 この蓮華色比丘尼のエピソードは、他にもいくつかあります。女性教団中の神通第一として、目連尊者と並び称されたこと。また、美しいがゆえに誘惑も多かったようで、力づくで言い寄ってきた男に、両目をえぐり差し出して、その欲心を制したとも、提婆達多が釈尊を害そうと企てたときに、それを諫めたことから、提婆達多から殴られて、目が飛び出して死んでしまったとも伝えられています。

 確かに、自分自身の過失ではないのに、後から後から不幸が追いかけてくるようなことがあるものです。そのようなとき、運が悪いとか、悪い因縁と諦めるのも一つの方法ではありますが、蓮華色のように、苦境をバネに精進するのも一つの方法でありましょう。

 しかし、初期仏教教団のヒロインである蓮華色は、最後の最後まで、薄幸ということがついて回ったような気がしてなりません。そのエピソードから人生の複雑さ、難しさを改めて知らされた思いがいたします。やはり、阿弥陀さまに、すべてをただお任せすることでありましょう。

(2000/10)