幽霊の話

 月遅れのお盆の季節になりました。この頃になりますと、怪談や幽霊談といった話題が職場や茶の間にもよく上ります。わたしが、最初に出会った幽霊は、もう四十年ほど前でしょうか、近くの映画館でありました。うろ覚えでしかないのですが、高田浩吉が主演であったように記憶しています。幽霊役の女優が誰であったかは、全く覚えていません。

 浪人新三郎のもとへ、恋いこがれて死んだ旗本の一人娘お露が、その後を追った女中お米の持つ牡丹の花柄の灯籠に導かれ、駒下駄をカランコロン、カランコロンさせながら、お盆、毎夜毎夜通って来るという、ご存じ、三遊亭円朝の人情噺『怪談牡丹灯籠』を映画化したものでありました。

 お露さんは、番茶も出花の十七、八ということだそうですが、ほか、きれいどころの日本の幽霊の代表選手といえば、何といっても『東海道四谷怪談』のお岩さんと『番町皿屋敷』のお菊さんでありましょう。何度聞いても、さすがやはり「ゾクッ」とする凄さがあります。

 もうひとり代表選手に、累(かさね)という幽霊がいます。彼女は醜く、しかもあまりの性根の悪さから、入り婿に殺されてしまいます。それで、その入り婿の後妻との間に出来た娘、菊に怨霊としてとり憑きます。そこで、高僧に累の怨霊を鎮めてもらうのですが、今度は、助という死霊が憑きます。助は、先代が娶った嫁の連れ子で、醜く不具であったために義父に嫌われ、やむなく母は殺してしまいます。その後その夫婦に生まれたのが、実は、助と全く同じ不具で醜い累だったという、恐ろしい因縁をテーマにした怪談であります。

 以上の幽霊たちには、ちゃんと名前もあり、素性も知れていて、文学あるいは講釈、演劇などにも採り上げられ、これまでに繰り返し繰り返し語られ、演じられてきました。一方、特定はされないが、これまで各所に出没したとして有名なのが、「子育て幽霊」と「船幽霊」です。

 前者は、妊婦が死んで埋葬された後、墓の中で出産し、その子どもを育てるために幽霊になって、六文銭を使って飴屋に買物に来ると語られるものです。だんご、餅、菓子、砂糖、乳の粉を買いに来たという例もあるそうです。墓で産まれた子は、村人に発見されて、無事に育って、僧侶となったとされています。

 後者は、海上で遭難した人の亡霊が、幽霊船に乗って、漁師などに働きかけ、ときに害を及ぼすとされるものです。よく、「柄杓を貸してくれ」というのだそうで、そのときには、柄杓の底を抜いてから与えないと、船に水を入れられて沈没させられるということです。

 ほか、最近巷に出る幽霊で有名なものとしては、タクシーの運転手さんなどの体験談として語られる「ただ乗り幽霊」ではないでしょうか。雨降りの夜、髪の長い青白い細面の若い女性を乗せたところ、「○○墓地へ」という。しばらく走り「お客さん、着きましたよ」と振り向くと、そこには女性の姿はなく、シートだけがぐっしょり濡れていた、というものです。

 ところで、これまでお話ししてきた幽霊たちは、未練、怨念など、理由はそれぞれさまざまですが、この世に思いを残して出ては来ますが、自分自身とは直接関係のない亡霊でありますから、せいぜい背筋が寒くなるくらいで、その場限りで済んでしまいます。

 ところが、世間には、本人が直接、あるいは間接的に関わりがあった、「だれ」と特定できる亡霊に怯えている人が、結構いるものです。そういう人に聞いてみますと、その亡霊は、舅や姑、あるいは水子であるという場合がほとんどです。そりゃあそうかもしれません。名古屋市でもこれから使えなくなる黒いビニール袋にくるめて、夜中に、誰が出したか分からないようにそっと捨ててきた粗大ゴミが、ある日、朝起きて玄関を開けたら、そのままの状態で戻っていたとなりゃ、驚きますよね。

 もし、仮にそうなった場合には、素直に非を認め、正規の手続きをして、決められた時間、決められた場所に、誰が出したか分かるように名前をしっかり書いて出さねばなりません。間違っても、またそのまま戻したり、他人や、いい加減な業者に任せて捨てさせるようなことをしてはなりません。また、何度となく玄関先に戻ってきます。

 お盆です。家族みんなで、ご先祖様を丁重にお迎えをして、できる限りのお給仕、ご供養をしてあげてください。

(2000/8)