◆創作仏教落語◆ 『豚の智恵』
「おい、熊さん、今日はひとりで飲んでるのかい。ずいぶん、浮かぬ顔をしているねえ。どうしたんだい?」
「ああ、ご隠居、そんな風に見えますかい?」
「どうせ、また八っあんと喧嘩でもしたんだろう?」
「面目ねえ。」
「お前さんにもあきれるねえ。かみさんともしょっちゅうやっているようだが、好きでいっしょになった者同士でさえそんなだから、人間同士仲良くやるということは、なかなか難しいということをよーく肝に銘じておくこったな。」
「そりゃあ、あっしだって、好きこのんで喧嘩しているわけじゃないんで。ご隠居の智恵で、何か喧嘩しないでもいい、いい方法はないんですかい?」
「わしの智恵ではないが、豚の智恵というのがある。」
「ええ、豚ですかい? いくらあっしだからって、そりゃあないんでやんしょう。ご隠居、せめて、猿の知恵ぐらいにして下せいよ。」
「いやいや、そうブウブウいわんと、豚の知恵も捨てたもんじゃない。」
「ご隠居、そのブウブウってのは洒落ですかい? あんまり信用できねえなあ。」
「まあまあ、昔、お釈迦様が舎衛国の祇園精舎にあって、多くの人を集めて、説法されていたころのことと思いな。」
「お釈迦様とくりゃあ、信じないわけにやあいかねえか。」
「あるとき、五百頭の豚の王である一頭の大きな豚が、配下を引き連れて、険しい山道にさしかかったそうな。すると、向こうから一頭の虎が、のそりのそりとやって来るのが見えた。」
「豚だけに、こりゃあまずいってんで、トンズラしたんでやんしょ?」
「変なところで、話の腰を折るもんじゃない。なんたってこの豚は、豚の王様だ。そこで考えた。
『おれが虎と闘えば、まず負けるだろう。かといって、恐れをなして逃げたんでは、配下の豚たちにしめしがつかない。』
そこで豚は、虎に向かってからいばりしていった。
『おい君、君が闘争を望むなら、一つ大いに闘おうではないか。望まないんであれば、ここを通してもらおう。』ってね。
虎はこしゃくな奴だと思って、
『望むところだ、通れるものなら通ってみろ。』と答えた。」
「へーえ、豚は、ここであえなくとん死した、なんていっちゃあいやですよ。」
「ここからが豚の智恵でね、まあよく聞きな。豚は内心困ったと思ったが、
『君、それではしばらく待ってくれたまえ。闘うについては、おれの祖父伝来の鎧で身を固める必要があるから、鎧を着けて、いさぎよく闘おうじゃないか。』
といったんだ。」
「豚が鎧ですかい? あんまり強そうには見えねえなあ。」
「そりゃあそうだ。虎もそう思ったんだろう。余裕綽々で、
『勝手にするがいいさ。』
と、その申し出を許したわけさ。ところで、熊さん。豚はいったいどんな鎧を着けてきたと思うかね?」
「豚だけに、とんと見当がつかねえや。」
「そう、来るだろうと思ったよ。豚は、自分たちの便所に行ってな、糞の中をごろごろ転げ回ると、体中べたべたに糞を塗りたくって、虎のいるところへもどって来て、
『やあ待たせた。さあ闘うなら闘おう。もし闘うのがいやなら道を開けろ。』
と叫んだというわけさ。」「いやあ、汚ねえな。ここまで臭ってきそうだ。」
「虎もこれには閉口して、
『闘うのはまっぴらごめんだ。道を開けてやる。勝手にさっさと立ち去れ!』
というしかなかったわけだ。どうだい、豚の智恵もなかなかのもんだろう?」
「ええ? あっしに、糞を塗りたくれってんですかい。そりゃあ勘弁して下せいよ。うちのかかあなんざ、あっしの褌でさえ横向いてるのに、そんなことした日にやあ、家にも入れてもらえねえ。」
「熊さん、泣くこたあないじゃないか。これはそれ豚の智恵、人間には人間の知恵ってものがある。そこんところを、お前さんの頭で、よーく考えるこったな。そうすりゃあ、お前さんにもウン(運)がつくってえもんだよ。」
「恐れ入りやした。」
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