◆創作仏教落語◆ 『盂蘭盆』

 「いやー、ぶったまげたねえ。」

 「熊さん、あんたはいつも驚いているが、今度はいったい何に驚いているんだね。」

 「ご隠居、知らないんですかい。あっしは大のプロレス好きなんでね。八の野郎が、あのジャイアント馬場のお墓ができたっていうんで、ちょいと、参りに行って来たんでっさ。」

 「ほお、そらあ知らなんだ。で、どこにできたんだって?」

 「花のお江戸は新宿でっさ。」

 「えらいところにできたもんだな。それでなんていうお寺だい?」

 「それが、お寺でも霊園ってやつでもなくって、新宿駅の東口のきわにありやしてね。さすが、ジャイアントというだけあって違うねえ。でけえのでかくねえのって、でーんとビルみてえに、四.八メートルでっせ。」

 「熊さん、そりゃあ違うよ。」

 「えっ、どう違うんで。ジャイアント馬場のお墓じゃないって。なら、ウルトラマンのお墓とか?」

 「何いってるんだい。だから、お前さんはそそっかしいっていわれるんだよ。ついこの間、新聞にも出てたじゃないか。あれは線香のメーカーが、お盆だってんで、宣伝に建てたもんだよ。」

 「ええ、じゃあ本当のお墓じゃないんで?」

 「当たり前じゃないか。いくらなんだって、ウルトラマンだって駅前にお墓なんぞ建てたりはしないよ。」

 「でやんしょ。あっしもどうも変だ変だと思って。あの八の野郎、いっぱいかつぎゃがって、もう許さねえ。」

 「まあ、まあ。かつぐ方もかつぐ方、かつがれる方もかつがれる方。だがなあ、張りぼての墓にでも、熊さんが、心を込めて掌を合わせて拝んだ気持ちは尊いもんだ。盂蘭盆のよいご供養になったと思うよ。」

 「ご隠居、ウラボンってなんでやす。お盆にも表と裏があるんですかい。ああそうか、七月にやるのが表盆で、八月にやるのが裏盆というんでやんしょ?」

 「そうじゃないよ。インドの古い言葉のウランバナが盂蘭盆となったんだな。逆さ吊りの苦しみという意味があってな。餓鬼道などにおちて苦しみを受けている亡者のために、供養してやるための昔からの仏事をいうのだよ。」

 「へー。ご隠居、物知りだねえ。」

 「お釈迦様の弟子に、神通第一といわれた目連尊者という方がおられてな。その神通力でもって、亡くなった母親の行く末を見たところ、餓鬼道に落ちて苦しんでおられたということだ。なんとか苦しむ母親を救おうと、お釈迦様の教えに従って、七月十五日に百味の飲食を盆に盛り、多くの僧たちに供養したところ、その僧たちの功徳によって母親を救うことができたというわけだ。もっとも、日本では、農作業の習慣から、月遅れの八月にするところや、旧暦でするところもあるがな。」

 「くわしいねえ。ご隠居、あの世に親戚でもあるんですかい。そいでもって、近々おでかけのご予定とか?」

 「縁起でもないことをいうもんじゃないよ。それはそうと、例のお墓の大きさはどれだけといってたかい?」

 「でかいよ、四.八メートル。それがどうかしたんで?」

 「なるほど。じゃあ熊さん、なんで四.八メートルに造ってあるか分かるかい?」

 「自慢じゃないが、そんなこと分かるくれえなら、八にだまされたりしあせんよ。」

 「それもそうだ。」

 「やだねえ、ご隠居。そんなところで、感心しないで下せいよ。」

 「悪かった。なら、四十八と言い換えたらどうだね?」

 「四十八、四十八。そうだ。相撲に四十八手というのがあるじゃねえか。そうか、お墓をもう一つ造って、相撲を取らせるんでやんしょ?」

 「あきれたねえ。これにもちゃんと意味があってな。阿弥陀様が、仏になる前に、一切の衆生を救うために四十八の願をお立てになった。それを四十八願っていうんだな。中でも、十八番目を念仏往生の願といって、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、みんな往生できるというわけだ。」

 「えれえもんだねえ。隠居にしとくのがもってえねえぐれえだ。」

 「そうかい、ありがとうよ。なら、何になったらいいかね?」

 「そりゃあ、ボンさんに決まってらあね。」

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