創作童話『四つ辻のトカゲ』

 その日、ケン太は、とてもあわてていた。

「ただいまあ」
の声と同時に、ランドセルを玄関の上がりはなに置くと、すぐさま自転車に飛び乗った。窓から顔を出した母さんに、
「ユウちゃんちへ行って来る。おやつは後で」
というと、垣根のサンゴジュの若葉の甘いにおいをスーッと吸い込んで、ペダルをいっぱいにこいだ。

 母さんは、自転車でユウちゃんちへ行くというと、決まって、
「あのね、そこの四つ辻にお地蔵さんが立っているでしょ。父さんがまだ子どもの頃、いっしょに三輪車で遊んでいた友だちが、オート三輪にはねられて死んじゃったところなのだそうよ。だから、ケン太も飛び出したりしないで、気をつけるのよ」
といつも聞かされていた。

 ケン太は、「四つ辻」ということばが、なぜか怖かった。事故があったから怖かったというわけではない。それは、父さんの頃のことだし、もう何十年も前のことで、ケン太にとっては、遠い昔のことのように思えたからだ。

 ただ、母さんからこのことを初めて聞かされたとき、四つ辻の意味が分からなくて、いっしょに教えてくれた「辻斬り」と「辻占い」のことばが、どうも頭から離れないでいるのだ。

 だから、そのお地蔵さんの前を通るたび、いきなりパッと、辻斬りの侍が出てきやしないかとか、髪の長い辻占いのお婆さんが、ヌーッとでてきたらどうしようなんて、つい考えてしまうのだった。

 でも、その日に限っては、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。学校で、ユウちゃんと遊ぶ約束をしてきたからだ。それに、もう一人の日直の子が先に帰ってしまったので、当番の仕事に手間取り、遅くなってしまったのだ。

 ユウちゃんちは、そう遠いわけではない。歩いていっても、五分とはかからない。しかし、ケン太は自転車が好きなのだ。友だちのだれよりも早く乗れるようになったし、それに、だれよりもうまく乗れると思っている。その日も、家から四つ辻までの坂を一気に駆け上がった。

 お地蔵さんのほこらの屋根、お地蔵さんの頭、体、足が、ケン太のこぐペダルとともに、ズン、ズンとのぼって見えてくる。ついで、目に入ってきたのは、お地蔵さんの足元で日向ぼっこしている一匹のトカゲだった。

「そんなところで昼寝してたら、車にひかれちゃうぞ」
と声をかけながら、かっこうよくグーンとお地蔵さんのところを曲がろうとしたときだった。

「あっ!」

 トカゲが、いきなり走り出したのだ。思わずよけようとハンドルを切った。が、後ろの輪っぱになにかさわったような気がした。

 ケン太は、トカゲをひいてしまったと思った。しかし、急いでいたし、止まって確かめるのが怖かった。走りながら少し振り返って見ただけで、そのままペダルをこぎ続けた。

 ユウちゃんちにいる間は、遊びに夢中でそのことを思い出すことはなかった。でも、帰り道で、ハッと気づき、お地蔵さんの四つ辻を通ることができずに、遠回りして帰った。

 そして、家に着いておやつを食べながら、
「トカゲって、クッキー食べるかなあ?」
て、台所で向こう向きに洗い物をしている母さんに聞いた。

「食べるんじゃないの。でもどうして?」

 たしか、テレビで見たトカゲは虫を食べていたみたいだけれど、母さんにそんなこというと、あれこれ聞かれそうなので、
「ううん」
とだけ答えて、クッキーを半分に割ると、急いでハンカチにくるんでポケットにつっこんだ。

 次の日、学校から帰ると、四つ辻に行ってみた。やっぱり、お地蔵さんの足元には、トカゲが、ボール紙の切り絵のようになって死んでいた。きっと、みんなから、たくさん踏まれたに違いない。ケン太は、ポケットから昨日のクッキーを出し、
「ごめんね」
と小さな声でいうと、トカゲのそばに置いた。

 それから、ケン太は、四つ辻を通るたびに、お地蔵さんの足元のあたりを見るのが癖になった。しかし、切り絵のようなトカゲは、しだいにレースのように薄くなって、いつのまにか記憶とともになくなっていった。

 そして、夏も終わりの頃だった。そのときもケン太は自転車に乗っていた。一匹のトカゲがお地蔵さんの後ろにさっと隠れるのを見た。

 ケン太は、ウフッと笑った。(99/05)