『顔面問答』

 中国は清朝の時代に、兪曲園という詩人が『顔面問答』という面白い随筆を残しています。概略を紹介いたします。

 あるとき、顔の中の口が考えた。自分は、三度の食事をして生命の根元を作っておる。にもかかわらず、顔の中でも最も下位におるのは納得がいかない。そこで、口は隣の鼻に文句を言った。

「おい、君は飲み食いのような重要な働きをせぬにもかかわらず、僕の頭の上に胡座をかき傲然と構えていてあまりに酷いじゃないか。少しは遠慮して僕の横へでも座って謹慎していたらどうだ。」

 すると、鼻はカラカラ笑い出して切り返した。

「それはもっとものようだが、僕は君よりもっと重要な呼吸という任務に服しておる。君も多少はしておろうが、それは君の本務じゃない。大きな口を開いて呼吸をしていたら、喉を痛めて病にかかるし、そうやって市中を歩いてごらんよ、他人が馬鹿にするよ。それに、食事は二、三日しなくとも死ぬようなことはないが、呼吸はそうはいかぬ。しかも、食事と違って、呼吸には休みというものがない。実に不眠不休の大活動である。だからこそ、顔の中で最高の地位を占めているのさ。」

 なるほど、そういわれれば、口も同意せざるを得ない。そこで口と鼻の間にはともかく意思の疎通ができたが、口は鼻に言った。

「ところで、眼という奴はおかしな奴だ。飲み食いも呼吸もせんくせに、偉そうに一つならずとも二つまでも鼻の上にがんばって僕らを見下しておる。こんな不合理はない。君はどう思うか。」

 すると鼻は、いかにもそのとおりだと同意した。そこでこんどは彼奴を難詰してやろうということになった。

「僕らは日頃から飲食と呼吸をもって人の生命をつないでおる。しかるに君は何ら重要な任務をなすこともなしに、おこがましくも僕らの上位にあって、始終僕らを眼下に見下ろしておるとは怪しからんじゃないか」と詰った。

 すると眼が言うには、「いかにも、君らの言うとおり飲食も呼吸もしない。しかし、僕には僕の重大な任務があるのをご存じか」と切り出して、さらに続けた。

「君らは知るまいけれど、およそこの世の中には種々の危険物があって、一つ間違えれば、人の生命を奪おうと待ちかまえておる。それを僕が高いところから監視しておるからこそ避けられるというものである。万一僕がその任務を怠ったら、たちまち一大災難にかかって横死しなければならんことになる。もし、僕が口の下にでも降りて顎の下へでも移ってみたまえ、大切な任務が果たせなくなってしまうよ。」

 これには気負い込んだ口も鼻も反駁する余地がない。二者は了解して話はおさまった。

 しかし、口には今一つ腑に落ちないことがある。それは眉毛の存在である。ほとんど無能無役でありながら顔の最上位にいるとは、いかにも気に入らぬ。そこで今度は、口は鼻と目と三者連れだって眉毛に談判することにした。

「僕らは、飲食とか呼吸とか監視とか、それぞれ重要な任務を負っている。いったい君はいかなる任務を負って顔の最高位を占め、しかも一人ならず、二人ならず、多数の同族を群居せしめておるのか、その理由を承りたい」と。

 これを聞いて、眉毛は別にその姿をひそめるでもなく、答えたものである。

「いかにも、君たちの労苦には大いに感謝している。ただ、僕自身は何をしておるかということになると、お恥ずかしいことだが、一向に判らん。君らは自己の職務について他に対して誇るべきものをもっておられるが僕にはそれがない。ただ、こうせいといわれるままに、古往今来こうしているばかりである」と……。

 兪曲園は、この問答の後、自分は今まで口とか鼻とか眼のような心がけで過ごしてきたが、今後は、眉毛のような心がけをもって世の中を渡ってゆきたいと結んでいます。自分が自分がと喚き立てるから不満がでるし、迷いも生ずるということでしょう。この心で、法然上人の「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」を噛みしめたいものです。(99/04)