『赤いまんま』

 昔、ある村に金持ちの家と貧乏人の家が隣り合わせに並んでおりました。ある日、金持ちの家の蔵から、ほんの一握りの小豆が盗まれました。金持ちはひどく腹を立て、盗人は隣の貧乏人に違いないと考えました。

 隣の家へ出かけていくと、家の前で汚いなりをした子どもがひとりで遊んでいました。金持ちは、猫なで声で尋ねました。

「坊、夕べは何食うた?」

「赤いおまんま、食うた」

 金持ちは、にんまり笑いました。そして、すぐさま隣の家に入るなり、唖然としている貧乏人の襟首を捕まえて、表通りにひきずり出しました。

 村人たちは、何事が起こったかと、皆集まってきました。金持ちは、頃を見て、父親にすがっている子どもにいいました。

「さあ、夕べ何を食うたか、皆の前でいうてみい」

「赤いおまんまじゃ」

 金持ちは、大仰にいいました。

「皆の衆、聞いたか。夕べわしの家で小豆が盗まれた。白い飯すら食えんような貧乏人が、赤いまんまを食うたそうじゃ。この男はさもしい盗人じゃ」

 貧乏人は仰天しました。

「おら、いくら貧乏でも、人のものを盗ったことなぞ一度もねえ」

「なら、子どもが食った赤いまんまというのは何じゃ。盗ってないというなら、証拠を見せてみい」

 貧乏人は困りました。村人たちの目までが、冷たく射るようにして自分を見ています。このままでは、盗人にされてしまいます。

 しばらくの沈黙の後、貧乏人は、やにわ子供を抱え上げ、近くにあった鎌を子どもの腹に突き立てました。そして、裂いた子どもの腹に手を突っ込むと、胃袋を取り出して金持ちの前に突きつけました。ひるんで後ずさりした金持ちの鼻先で、胃をぎゅっと握りしめました。中から出てきたのは、小さな小さな赤ガエルでした。夕べ、食べるものがなかった貧乏人は、川でとってきた赤ガエルを子どもに与えていたのです。

 村人たちの嗚咽の声と、新米をつけた稲穂が風でこすれあう音とが、辺りを包み込みました。

 我が子を殺してしまった貧乏人は、目を泳がせて、ぽかんと口を開けて、ただ呆然と立ち尽くしていました。


 この民話を初めて読んだとき、その場に居合わせているかのような強い衝撃を受け、しばらく頭が空白状態になったことを覚えています。なぜ、こんなにも切ない話が語り継がれてきたのでしょうか。

 赤ガエルがエビや稗になったりしますが、類話が、日本各地に散在しているといいます。当時、村八分にされたら、ギリギリの状態で生活している極貧の水呑百姓といわれた人たちは、生きていく術をなくしてしまいます。これは、恐らくそのような人たちの、威張りくさっている金持ちたちへの、せめてもの抵抗であったのでしょう。これを語り、そして、その不条理さに思いっきり涙し、僅かばかりの溜飲を下げていたのかもしれません。

 仮に、今、自分がその現場にいたとしたら、一体、誰になりましょうか。あのいやな金持ちでありましょうか。それとも、状況に応じて騒ぎ立てる野次馬の村人でしょうか。はたまた、理性を失い、取り返しのつかないことをしてしまう極貧の男でしょうか。

 不景気だとはいえ、今の日本の社会の豊かさからすれば、このようなことは無縁の昔話に過ぎない、そんなふうにも考えられます。しかし、これに近い、怖い話を聞いたことがあります。

 ある若い夫婦に、子どもが産まれました。ところが、先天的に腎臓に欠陥があるということで、腎臓移植をすることになり、ならば、誰が臓器を提供するかでもめたのです。それで、結局、婿養子であった父親が、義父母から迫られ、応じざるを得なかったというのです。また、貧しい国では、臓器を売って生活の糧としている人たちが現にいます。

 盗人は捕らえなくてはなりません。病気も治さなくてはなりません。しかし、それが常に正しいとは限りません。少欲知足(わずかなもので満足する)の心がないと、思わぬところで、苦悩する人を作ってしまうことになります。


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