『毒物混入事件から』

 わたしが、まだ小学生の頃でした。確か全部で十巻ほどであったと思いますが、『仏教童話全集』が備えてありました。所々挿絵もあって、とても読みやすい本でした。家には子供向けの本がこれしかなかったせいもありますが、繰り返し繰り返し読んでいたように思います。なかでも今もよく覚えているのは、愚鈍ではあるが、ただ掃除をすることによって悟りを得たと言う周梨槃特(チューダパンタカ)の話と、鬼子母神(訶梨帝母・ハリーティー)の話です。

 前者の話は、愚かな者でも努力によって結果を出すことができると言うことをわたしに教えてくれ、現在の自分にもなにがしかの力を与えてくれています。後者の話は、子をさらって食うと言うあまりのおぞましさ故に、記憶に残っているものです。『日本大百科全書』には、概略次のように解説してあります。……

 この鬼女は王舎城または大兜国などのもので、父も母も鬼神・鬼女で、夫も鬼神王であった。この悪因縁のもとに五百人(九子、七子、五子、千人など諸説あり)の子を得た。鬼子母は、これらの子を養うために、日夜、王舎城内の子を盗んでわが子に与え、王舎城には悲しみの泣き声が絶えなかった。ある人がこれを釈尊に告げたところ、釈尊は末子を取って隠してしまった。鬼子母は悩み悲しみ、このことを釈尊に問い、なんぴとも子の愛すべきを戒められて悔悟し仏弟子となり、のち安産・子育ての善神となった。鬼子母の故地は玄奘の『大唐西域記』にみられる西北インド大兜国のあたりとみられ、おそらくは飢饉時の実在の婦女と思われる。その形像は一般に、右手に一児を抱き、あるいは吉祥果(石榴ともいう)を持つ天女形である。……

 一説によりますと、なぜザクロかというのは、ぎっしり詰まった赤い種子が、たくさんの子供と血の色を表し、さらには、人肉の味がするからだと言います。やさしいお顔となった善神に、忌まわしい過去を背負わせることもなかろうとは思うのですが、このような存在をも信仰の対象となりうる仏教の懐の深さには、心休まるものを感じます。

 さて、今、世間いちばんの話題はと言えば、ヒ素を使った保険金詐欺殺人事件でありましょう。十月十七日現在、事件はまだ確定しておりませんので、あくまで憶測でしかないわけですが、実母、夫、知人、さらには無差別に狙っていたとなれば、鬼子母さながらの身の毛のよだつ、妖気漂うできごとと言わねばなりません。しかし、そのことを興味本位でのみ追っていたのでは心寂しいことです。仏典(四分律)に、次のような逸話があります。……

 仏陀が森に入って、一樹のもとで憩いをとっている時のことであった。若者たちが、何か慌てふためいて、森の中を右往左往していたのだが、仏陀を見つけると、いきなり、「こっちに、ひとり、女が逃げてこなかったでしょうか」と問うた。事情を聞いてみるとこういうことであった。

 彼らは、近くの良家の子弟で、おのおの妻をたずさえて、この森に遊びにきていた。ただ、ひとりだけ未婚のものがあって、妻のかわりに遊び女を連れてきていた。ところが、皆が遊び楽しんでいる隙を見て、その遊び女が持ち逃げをしたというのである。

 その事情を聞いて仏陀は、彼らに言った。「若者たちよ。逃げた女を探し求めることと、おのれ自身を探し求めることと、どっちが大事だろうか」と。そして、仏陀は、人生の正しい見方、生き方を説き、若者らは、その教えるところを理解し、出家してその弟子となった。……

 悲しいことは、あれ以来、毒物混入事件が連鎖反応のように起きていることです。おのれ自身を探し求めるどころか、自らが悪徒に成り下がってしまったのでは、人間を放棄したに等しいと言えます。連日、マスコミがこの事件を取り上げ、いろいろな方面からのコメントがなされておりますが、悪の追求と言う立場からのものがほとんどです。「まず、自己を探し求めよ」という言葉も、心に留めておきたいものです。(98/11)