まっすぐな道(下)

 先月紹介させていただいた八町畷のまっすぐな道を抜けると、そこは宮の宿でした。そこには道標がたっていて、左に行けば七里の渡し、右に行けば佐屋街道、どちらからも桑名の宿へ行けることを示していました。この道標は今もありますが、旅人は、この前で、左に進み舟で行こうか、右に少々遠回りでも陸路で行こうか、思い悩んだことでありましょう。かように、まっすぐな道を進んできても、しばらくすると、必ずと言っていいほど、分岐点にさし当たるものです。時代とともに、交通手段の変遷はありましょうが、目的地に着くまで、旅する者にとって、この分岐点は、思案のしどころであることに変わりはありません。

 このことは、人生の道についても同様であります。オギャーと生まれ、もっとも、厳密には受胎したときを人生の出発点とみるべきでしょうが、それから終着点である死までの道のり、そこに至るまで、小さな分岐点、大きな分岐点、越えなくてはならない分岐点は、個人差こそあれ、必ずあるものです。ときには、八方塞に陥り、二進も三進も行かなくなることも稀ではありません。

 最近の高級自動車には、カーナビゲーションシステムといって、人工衛星などで自車の位置を確かめ、刻々変わる道路の渋滞状況を交通指令センターから受信し、最も短い距離かつ時間で目的地まで行けるよう、克明な地図と美しい音声で案内してくれる装置が付いています。目的の電話番号を入力すればよいというものまであって、これさえあれば、どんな不案内な土地でも、方向音痴な人でも大丈夫というわけです。人生の航路においても、かようなナビゲーションシステムがあれば、誠にありがたいのですが、そう簡単にうまくはいきますまい。ただ、ここに、興味深い話があります。

 ひとりの旅人が、百千里という旅程を西に向かって歩いていた。すると、思いもよらず、二つの河にさしかかった。一つは火の河で南にあり、今一つは水の河で北にある。おのおのの幅は百歩ばかりであるが、果てしなく南北に延びており、かつ底がないほどに深い。その水と火の河の中央に、東のこちら岸より西の向こう岸を結ぶ一本の白い道がある。幅は十五aほどであるが、水と火の波が交互にうち寄せている。ふと、背後を見やると、賊や悪獣が自分を目がけて襲ってくる。西の向こう岸に行こうにも、その一本の白道はあまりに狭すぎる。来た道を戻ろうにも、群賊悪獣が迫っている。南か北に走り去ろうと思えば、やはり悪獣毒虫が競い来たってくる。

 旅人は、まさに迫りくる死の恐怖の中で、東岸より「汝、この道を尋ねゆけ」と勧める声を聞く。また、西岸よりは「汝、直ちに来たれ。われよく汝を護ろう」との声を聞く。旅人は、意を決し、白道を一歩二歩と進み出る。すると、東岸の賊どもが「返ってこい。その道は危ない。われわれは、悪心を持っていない」と呼ぶ。しかし、旅人は、心一筋にまっすぐ進み、まもなく西の岸に到り着き、もろもろの難から離れ、善友とも巡り合い至極の安楽を得た。

 さて、これは善導大師の『二河白道』の比喩です。火の河は人間の瞋りや憎しみ、水の河は愛着や欲望、白道は浄土往生を願う清浄心、群賊たちは人間の迷いから生ずる悪い考えなど、東岸の声は娑婆世界の釈尊の教え、西岸の声は極楽浄土の阿弥陀仏の呼び声に例えたものであります。信仰というもの、宗教の持つ意味というものを、見事に言い得ているところから、絵画化され、その『二河白道図』は広く流布するところとなりました。当山の本堂にもありますので、是非ご覧ください。

 人間の進むべき道は、実際の交通網と同じで、時代とともに複雑化しているようです。折しも、六月十七日、限定的とはいえ、脳死を「人の死」と認める臓器移植法が成立しました。これまで、重い心臓病で間近い死への一本道しかなかった人に、遠回りできる新たな道が通ったことになります。その道は、果たして白道であるや否や、難しいところです。

(97/07)