まっすぐな道(上)

 もし、「まっすぐな一本の道」を思い浮かべるとしたら、皆さまでしたら、どんな道を連想されますでしょうか。

 「畷」あるいは「縄手」と書いて「なわて」と読むのですが、この言葉をお聞きになったことがありますでしょうか。ある程度年輩の方は、ご存じでしょうが、今では、ほとんど死語のようになっていますので、知らない人の方が多いかと思います。といいますのも、「長く続くまっすぐな道」というのが、その語義なのですが、交通網が発達した現在、われわれがこの近辺で目にする道は、まっすぐといいましても、ほとんどが交差したり、枝分かれする道があったりしますので、「畷」そのものがなくなってしまったというのが、その理由と思われます。

 事実、私どもが住んでいるところは、東海道五十三次の、いわゆる「宮の宿」だったところで、その東口から笠寺方面へに向かうところが松並木になっていて、かつて「八町畷」と呼ばれていました。文字通りまっすぐな道が八町に渡って続いていたそうで、一町が約百九bということですから、およそ一`弱のまっすぐな道であったわけです。それが明治以降、近代都市計画の道路中心の区画整理により、次々に松の巨木が切られたり、立ち枯れていったといいます。それでも、戦前までは、まだ数本の松の巨木がその面影をとどめていたといい、それも戦時中に、ついには松根油の原料になってしまったそうです。現在は、JR東海道線が横切り、何車線もある国道一号線とも合流していて、そこが、以前「八町畷」であったということを、地元の人でも、知る人は少なくなってしまっているのではないでしょうか。当時は、昼でも小暗いまでに枝葉が茂り、まことに寂しい並木であったそうです。

 一方、このような人が通る一本道ではなく、車のための一本道は、実に広大です。以前北海道に行ったとき、場所はどこであったか思い出せませんが、バスで、地平線の彼方までずっとまっすぐな道を通ったことがあります。また、実際に行ったわけではありませんが、テレビコマーシャルなどで、アメリカの砂漠地帯を帯というよりは長い紐のように、ただひたすら続くハイウェーがよく映し出されたりします。あれなぞは、日本のものとは桁違いに規模の違う一本道でありましょう。

 ところで、イギリスはロンドンの西郊、テムズ川を見下ろす小高い丘に位置するところにイギリス王室の離宮であるウィンザー城があります。この城は、ロンドンから近く、狩猟にも適し、自然の要塞を形づくっているということで、十一世紀にウィリアム一世が建設して以来、歴代の王による増改築を経て、城内には王室の公的・私的建物が多数建ち並び、世界最大の居城といわれているところです。このウィンザー城の正門に通じる道が、実に全長五`、ただまっすぐな道で、「long walk」と呼ばれています。ここをエリザベス女王がロールスロイスに乗って通られるわけです。もちろん、一般の者は、車での通行は出来ません。しかし、歩いてなら自由に通ることができまして、私も、少しだけですが、その赤くまっすぐな道を歩いてみたのであります。そこに立っただけで、心が、妙に落ち着くんですね。まっすぐな道というものは、人間に、不思議な作用をするもののようです。



 このような「畷」は、現代人の欠けた心に、なにがしかのものを与えてくれるような気がします。もし、可能であるならば、いつでもぶらっと歩ける「畷」があったらいいなと思います。次回は、心の「畷」について、考えてみます。

(97/06)