伝説くらべ

 もう二十年ほど前の《「日本発見」第十六号ふるさと伝説》という雑誌を、パラパラとページを繰っておりましたら、面白い記事が目に飛び込んできました。それは「東北のキリスト」という標題で、なんと、キリストとその弟のイスキリの墓が、十和田湖に近い、青森県三戸郡新郷村戸来にあり、それぞれ、十来塚・十代塚と名付けられているというのです。何とも痛快なその伝説の概要はこうです。

 キリストが最初に日本に渡来したのは、十一代天皇垂仁の時代で、越中で十一年間にわたり修業しユダヤに帰る。

 その後、ローマ兵に捕らえられ、ゴルゴダの丘で処刑されることになるが、その際に弟のイスキリが身代わりとなり、キリストは、シベリアからアラスカへと逃げ、そこから舟で現在の青森県八戸市の海岸へ辿り着き、戸来を安住の地とし、名を十来太郎大天空と改め、ミユという女と結婚した。

 そして、各地を行脚し、貧民の救済に努めたが、禿頭白髯・赤ら顔の鼻高で、頭にお守りを戴きひだの多い着衣という風貌から人々は天狗と呼び敬ったという。

 かくして、キリストは百六年の生涯を戸来で全うし、遺言により、遺体は風葬にされた後、十来塚に埋葬された。また、十代塚には弟イスキリの遺髪が埋葬されているという。

 その裏付けとして、同地方の盆踊り唄「ナニヤドヤラ」の歌詞はヘブライ語であるとか、地名の「戸来」は「ヘブライ」が訛ったものであるとか、キリストの子孫であるという沢口家には、代々家紋とは別に、ダビデの紋章に似た星印の紋が伝えられているとか、また、その畑からは、イスラエルで発掘されたものと同型の遺物が出てきた云々、となかなかのものであります。

 神の子であるはずのキリストが、日本の富山で修業していたという件は、なんとも仏教的で面白いですね。また、キリスト教にとってあの象徴的な磔のその人は、実は弟のイスキリであったというのも、破天荒で奇想天外な発想ではありませんか。

 さて、この類の伝説で有名なものといえば、あのモンゴル帝国の始祖である成吉思汗は源義経であったというのがありますが、我が郷土熱田にも、それに負けないくらいの伝説があります。それは、楊貴妃伝説です。

 そう、あのクレオパトラと並び称される美貌の持ち主であった楊貴妃は、何を隠そう熱田大明神の化身であったというものです。この伝承は鎌倉時代からあったといいいますから、これもなかなかのものでありましょう。伝承の概略はこうです。

 唐の六代皇帝玄宗が、日本を侵略しようとしていた。これを知って驚いた日本の神々は、危機を救い、玄宗の計画を阻止するために、熱田の大明神を差し向け、大明神は、楊貴妃に姿を変えて玄宗の心をとらえ、日本侵略を忘れさせてしまった。その後、唐に内乱が起き、楊貴妃は殺されこの世を去るが、魂は死なず熱田の地に帰った云々。

 実際、楊貴妃の石塔墓として小五輪形の石が、神宮境内にあったといいます。しかし、江戸時代の初めの頃、神宮修理の折に遺失したということです。ただ、真相は、取り払われたもののようであります。

 このような伝承・伝説は、確かに荒唐無稽なものが多いものです。「英雄は死なせたくない」という思い、あるいは、ある種の信仰といってもよい思いが、このような伝承・伝説を生み出すのでありましょう。だからといって、無下に黙殺してしまうのはよくないと思うのです。歴史ロマンとして、大らかに、子どもらにも、語り継いでいきたいものです。たぶん、落語だったと思いますが、

 「当寺は、頼朝公ゆかりの寺でありまして、頼朝公の髑髏が、こうして残っております」

 「ほほう、なるほど。しかし、頼朝公は頭が大きかったと聞いておりますが、これはえらく小さいですな?」

 「はい、これは、頼朝公がまだご幼少の頃のものでして」

 お後がよろしいようで……。

(97/03)