困った質問

 単純そうな質問なのだけれど、返答に窮して、閉口したという経験はありませんか?

 つい最近のことです。小四の娘が、私に、

 「チャッピー(犬の名)を百万円で売ってくれと言われたら売る?」

 「うーん、売らない!」

 「じゃあ、九ちゃん(九官鳥)は?」

 「ううーん、どうしようかなあ…」

 「じゃあ、金魚は?」

 「金魚なら売っちゃう!」

 「えっ、どうして、どうして?」

 私は、この後「うーん」と言ったまま、結局ごまかしてしまいました。

 もう一つは、かなり以前になりますが、ある宗教評論家が講演で、こんな質問をされました。

 「あなたの母親と、奥さんとが溺れていたとします。どちらを先に助けますか?」というものです。これは、嫁と姑との問題を絡めたかなりシビアな問題でして、そう迂闊に答えられるものではありません。しかし、講演者は、そこは心得たもので、明快な答えを用意されていました。

 「自分に近い方から助ける」
が、正解だというのです。

 なるほど、さすがは宗教評論家はうまいことを言うと思って、止せばいいのに、家内にこの話をしました。ところが、

 「じゃあ、どちらも同じくらいのところにいたらどうするの?」
と、すかさず切り返されてしまいました。

 これまた、「うーん」と言ったまま、ごまかさざるを得ませんでした。評論家の模範解答で片の付くほど、これは、単純な問題ではなかったようです。

 考えついでにもう一つ。この手の有名なものに、古代ギリシアの哲学者カルネアデスが問題提起した『カルネアデスの板』というのがあります。

 「海の上で船が難破した際、漂流者の一人が、他の漂流者がつかまっていた、一人しかつかまれない板を奪い取り自分の生命を救った場合、この行為は正当といえるかどうか」というものです。これは、自分の生命を救うために、やむをえず他人の生命を犠牲にすることが許されるか、というもので、これこそあれやこれやと考えていたら、夜も寝られなくなりそうです。

 ただ、現行の刑法では、「緊急避難」の成立を認め、殺してもよろしいと言うことになっているらしいのです。ですから、この場合、一応の決着が付いているようではありますが、今一しっくりいかないようではあります。

 ところで、「ナスレッティン・ホジャ」と言う人をご存じでしょうか。われわれにはあまり馴染みのない人ですが、トルコ人なら誰もが知っている、実在ではあるが伝説的な人物で、ユーモアとウイットに富んだ興味深い小話が、『ナスレッティン・ホジャ物語』として、現在では、世界各国語に翻訳されているのだそうです。たまたま、その日本語訳のものを読んでいたら、次のようなのがありました。

《二人の奥さん(その一)》

 この頃、奥さんが老け込んで魅力がなくなってきたので、ホジャは二人目の奥さんをもらいました。若くてピチピチした美人です。当然ながら、二人はよく喧嘩します。どっちがより深く愛されているか…、なんて知りたいのです。「もし、湖で私たちが溺れたら、あんたはどっちを先に助けるつもりなの?」と、二人がホジャに答えを迫りました。ホジャはちょっと考えてから、年上の奥さんに向かって、

「おまえは泳ぎが上手だったね。」

《二人の奥さん(その二)》

 二人の奥さんとうまくやっていくのはなかなか難しいことです。ホジャは、一人に美しい青い石を贈り「おまえにだけさ。内緒だよ。」そして、もう一人にも同じ石を贈り、同じ言葉をささやきました。

 ある日、またも奥さんたちが「ホジャ、私たちのどっちが大事なの?」と、返事を迫りました。ホジャはよーく考えて見せてから言いました。

「青い石を持っている方だね。」

 以上、あまりいい例ではなかったかもしれませんが、窮地を救う手だては、ユーモアとウイットに限るようであります。

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