小指の思い出

 わたくし、寒くなってまいりますと、左手の小指が、時々うずきます。と申しましても、別に、伊東ゆかりが歌っていたような、心ときめくような秘め事があったわけではありません。今は高一ですが、当時、まだ小学生だった息子とキャッチボールをしていて、小指の筋を切ってしまい、それがどうも、うまくつながっていないようなのです。動くには動くのですが、しっかり力が入りませんし、時々鈍痛が走ります。そして、この小指がうずくたびに思い出すのが、ひとつの仏伝であります。それは、とてもドラマチックな物語で、インド最大の国マガダの王舎城で起こった、身につまされる悲劇であります。『観無量寿経』に、次のような書き出しで始まります。

 あるとき、王舎城の都に阿闍世というひとりの王子がいた。彼は悪友である提婆達多にそそのかされて、父である頻婆娑羅王を、七重にもなった部屋に閉じこめ、すべての家臣たちを制して、ひとりも行くことがないようにした。国の王妃である韋提希夫人は、大王を敬愛していた。王妃は沐浴して身体を清らかにし、精製されたバターに乾飯の粉末をまぜあわせたものをその体に塗り、胸飾りの中に葡萄酒を入れて、ひそかに王に与えた。

 父王を幽閉して二十日ほど過ぎたある日、阿闍世は門番に問うた。「父王はまだ生きているか?」と。そして、ことの事情を知った阿闍世は、激怒し、剣をとって母を殺そうとした。そのとき、大臣に「大王よ、はるか昔よりこのかた、さまざまな悪王があり、帝位に早くつくためにその父を殺した者はいるが、未だかつて非人道にも、その母を殺したというためしは聞いたことがない」と諭され、母である韋提希を殺すことは踏み止まるが、やはり、奥深い部屋に幽閉してしまった。

 王妃韋提希は、突然おそったこの悲劇に心は錯乱し、釈尊にすべてを投げ出し、号泣しながらも、仏の道を求めるのである。そして、この願いに応じられ、耆闍崛山からこられた釈尊に、韋提希は「世尊よ、わたしは以前にどのような罪があって、このような悪い子を生んだのでありましょう。また、世尊は、どんな因縁によって提婆達多のような者と親族となられたのでありましょう」と愚痴るのであった。……

 さて、こうして『観無量寿経』は、釈尊によって、韋提希に救いの道として、阿弥陀如来とその浄土である極楽について説かれてゆくのですが、実は、この経典には記されていない、阿闍世には出生の秘密があります。概略はこうです。

 マガダ国王の頻婆娑羅には子どもがいなかった。占い師が王に「山中にひとりの仙人がいるが、三年後寿命が尽き、生まれかわって王子となる」と奏上した。王は大いに喜んだが、自分はすでに年老いているので、三年もは待てぬと、その仙人を、家来を使わし、殺してしまった。その夜、妃は懐妊した。再び占い師に聞くと、生まれるのは男の子で、王に害を与えることを告げた。王も妃も喜びと憂いが交錯し、結局、生むときに、高楼に上って、上より生み落とそうということにした。そうすれば、おそらく赤子は死ぬであろうと考えた。ところが、生まれた子どもは、小指を痛めただけで、命には別条がなかった。

 一方、提婆達多というのは釈尊の従弟であったが、一計を案じ、阿闍世に近づいた。「釈尊が年老いて、もはやつとめに堪えられなくなったので、わたしが代わって仏となった。あなたの父王も年老いておられる。あなたも、新しい王となって、共に進もうではないか」というと、阿闍世は怒った。提婆達多はすかさず、「太子よ、怒ってはならない。あなたの父王は、あなたにどんなことをしてきたか」と、阿闍世の出生の秘密を話して聞かせたのである。そして、手の小指がその証拠であると告げると、父子の情を捨て、すぐさま、父王を幽閉してしまったのである。

 以上、この悲劇を、われわれにとって、特殊な世界の出来事してとらえるか、自己の投影としてみるか、そこがポイントになっております。

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