日本人の来世観

 どんな宗教でも、死後の世界の問題について、それぞれの考え方を明らかにしています。それは、「死」こそ、人間が「生きる」上において、避けては通れない重要な意味をもっているからです。そこで、日本人の来世観はいかようなものかを、仏教と神道との両面から探ってみましょう。

 仏教では、生前中の業に応じ、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人という六つの世界(六道)を生まれ変わり死に変わりして、輪廻転生し続けるというのが基本的な考え方です。そして、その六道は、程度の差こそあれ「欲の世界」「苦の世界」であり、そこからの脱却(解脱)を目指すというのが釈尊の教えです。それには、あくまで自力で目指す方法と、他力を頼む方法とがあります。

 他力の場合、阿弥陀仏の浄土である「極楽」に生まれることを願い、そこに生まれ往くことを「往生」といいます。多くの日本人の来世観は、この「死=極楽往生」という概念でとらえているのではないでしょうか。ちなみに、「天国」というのは、キリスト教でいう神の国で、こちらに召されることを「昇天」といい、このあたりのことを混同している方も結構いらっしゃるようです。

 一方、神道における来世観は少々複雑です。

 我々の今生きている世界は「葦原中国アシハラノナカツクニ(中つ国)」で、神々のおられる世界は「高天原タカマガハラ」→天上・「常世国トコヨノクニ」→海上(海底)・「黄泉国ヨミノクニ」→地中という三つの世界があります。では、死者はどこへ行くかというと、そこは「根堅州国ネノカタスクニ(根の国)」と呼ばれるところで、常世国(海上他界)と黄泉国(地中他界)とを含めた世界と考えられています。この根の国は、我々の世界からはるか彼方なのですが、我々の住む世界の中にも、もう一つの死者のいる場所があると考えられています。そこを、山中他界といいます。

 神道では、死後間もない「死霊」は死穢(シエ)をもっていて、時に、祟(タタ)る存在であると考えられています。しかし、子孫が三十三年から五十年という一定の期間祀ることによって、荒ぶった死霊でも浄化されていき、和やかな「祖霊」となります。さらに、この祖霊が昇華されると「先祖神(氏神)」になるとされます。そして、〈死霊→祖霊→先祖神〉と浄化されるにしたがって、山の高いところに昇っていくというのです。

 すなわち、この山中他界は、現世と身近で連続するところに存在していることから、死者との関わりが必然的に多くなります。そのことが、いわゆる民間信仰的な宗教現象を、少なからず産み出しているといえます。テレビのワイドショーの番組でも、このあたりのことがよく特集に組まれたりしており、現代の日本人の来世観にも、強い影響を与えているといえます。

 つまり、日本人の来世観は、仏教と神道とが微妙に絡み合ったものということがいえ、心の安穏のためには、そこをおさえておくことが肝要です。

(平成7年8月)