「オウム真理教」

 最近の話題は、何と言っても「オウム真理教」であります。猛毒ガス「サリン」だの、「ハルマゲドン」(最終戦争)だの、聞くだに恐ろしい言葉で連日マスコミを賑わす「オウム真理教」とは、いったいどんな宗教なのでしょうか。

 今日「新宗教」、あるいは「新・新宗教」と呼ばれるものが、数知れずありますが、その性格的相違から、大きく二つに分類できるようです。

 一つは、霊感型宗教で、神がかった教祖が、悪い先祖霊、邪霊、不浄霊といった悪霊を払い、幸運をもたらすというものです。これまでの日本の新しい宗教にはこの型が多く、「阿含宗」「真如苑」「大山祇命神示教会」等があり、小規模のものに至っては実態が掴めないほど多数あります。ただ、その延長線上にあるものは現世利益ですので、胡散臭いものが多いのも事実です。また、この型の宗教にオカルト的色彩が強くなると、怖い事態になることがあります。時として、「悪魔払い」と称して、体を傷つけたり、殺人に至ることすらあります。

 もう一つは、終末型宗教です。元来、終末論的発想は、仏教の末法思想やそのほかの宗教にもみられますが、その典型は、ユダヤ教とキリスト教に見出されます。ユダヤ教では、世界の歴史は終末に向って進んでおり、この終末において究極的な神の審判が下り、試練によって清められたイスラエルの民のみに救済がもたらされるというものです。また、キリスト教においても、このメシア(救世主)思想が一つの主要な教義として説かれます。なかでも『ヨハネの黙示録』には、キリスト再臨後、千年間メシア王国を支配し、殉教した聖人は全死者に先立ってよみがえり、現世天国を経験し、そして千年の終わりには、すべての死者が最後の審判を受け、その後に完全なる神の国が成立するという「千年王国」論が説かれます。

 日本でも戦後、宗教の国際化によって、キリスト教系の新宗教が輸入され、これらは「苦悩・危機の時代→終末→メシア出現→千年王国」という図式を持っています。数年前話題になった、「ものみの塔」(エホバの証人)「統一教会」等がこれに当たります。

 さて、オウム真理教はというと、これが何でもありの、おもちゃ箱をひっくり返したような宗教なのです。今回のような事件前に、ある宗教学者が『別冊宝島』114号で、次のように述べています。

 オウム真理教の魅力も、またその限界も、ディズニーランド宗教だというところにある。信者たちは、自分たちが作られた世界に生きていることを知りつつも、せいいっぱい自分たちの役柄を演じている。彼らのヴィジョンや道具立ては、アニメやゲームといった空想の世界に発するもので、もともと現実の社会との接点を持っていないのだ。

 問題は、いつまで彼らがディズニーランドを維持していけるかにある。(中略)拡大の勢いが衰えることで、出家者や信者の数が減り、経済的な危機に陥って、過激な手段に打って出るかもしれない。人類の終末を予言している以上、社会的な危機が深刻化していかなければ、彼らにとっては困ったことになる。予言が外れたときに、どういった理屈をつけて辻褄合わせをしていくのか、それは終末論を説く宗教には必ず起こる問題なのだ。

 オウム真理教は、「子どもの宗教」であるという点で、まさに時代の象徴である。(中略)もし、オウム真理教が壁に直面したとしたら、それは、新・新宗教全体に共通して起こることであろう。あるいは、現代の社会は次々と宗教教団を消費し続けていくのであろうか。その点でも、オウム真理教のこれからが注目されるのだ。(95/05)