輪廻転生

 近年の傾向なのでしょうか、「輪廻転生をどう思うか」という質問を受けたり、輪廻転生を扱った記事を目にすることが多くなりました。特に、欧米でこの傾向が強いようで、その波が、日本にも届くようになったのでしょうか、キリスト教方面に、「仏教であれば、輪廻転生を信じることは当然で、日本仏教に、その教えが希薄であることは残念だ」、あるいはそのことを理由に、「日本仏教は本質から逸脱している」といった過激な批判も一部にあるようです。本来、キリスト教には、輪廻思想はありません。それがなぜ、今になって輪廻転生に関心を示すようになったのでしょうか。

 いくつかの資料を当たってみましたところ、どうやらその発信源は、アメリカの霊能者エドガー・ケイシー(一八七七〜一九四五)あたりにあるようです。彼は高等教育を受けなかった人物であったにもかかわらず、催眠状態に入ると、当時の最高の医者や科学者すら及ばない英知を示したといいます。彼が催眠状態で語ることを「リーディング」と呼び、その記録は一万五千件ほどあり、現在、彼の研究啓蒙団体が管理し、研究者に閲覧を許しているそうです。その内の半数以上は、病気の診断治療に関するもので、他にも、予言とか夢解釈といったものもあるようですが、輪廻転生に関するものはライフ・リーディングと呼ばれ、五分の一弱あるそうです。

 それによると、「アカシャ」という領域に、宇宙創世以来のあらゆるデータが蓄積されているというのです。各人の前世についても、この「アカシック・レコード」から探ると、現世は前世の影響を大きく受けており、ある種の病気やけがなども、前世に作ったカルマ(業)に起因しているというのです。また、肉体を離れた人の魂は、太陽系内の惑星に霊的次元において滞在し、四つほどの惑星を寄留する間に、各惑星がそれぞれに持っている知性・情熱といった精神的特性を受け、再び地球上に肉体を持つのだといいます。そして、その転生を何度も繰り返し、あるレベルに達した者は、太陽系を卒業して、より高次元のアークトウルス・北極星・プレアデス星団に向かうというのです。

 以上から、アカシック・レコードの検索云々は別として、確かに、仏教における「因縁」「輪廻転生」「解脱」「浄土往生」といった観念に似ていなくもありません。ですからでしょうか、よりよい来世を願うため、土や埃にまみれ、五体投地といって、全身を投げ出してする礼拝を繰り返し繰り返し、行程何十キロもある聖地に巡礼をする信者たち、そして、徳の高い僧は、ブッダの化身であるとする「転生ラマ」の信仰が今も生きているチベット仏教に、特に関心を集めているようです。

 ところが、ここでの関心は、あくまで人間と人間の転生のみに限られているようです。仏教における輪廻転生は、あらゆる動物から植物に至るまで、すべてを対象としています。すなわち、地獄界・餓鬼界・畜生界・人間界・天上界の五つの世界、あるいは、修羅界を含めた六つの世界を転生し、輪廻するものは「業」のみであります。ですから、物体的に類似するものが次の世に継続されるとか、霊魂のようなものが不滅のまま、次の世で存在し続けるという考え方は否定されます。そして、「業」の実体は悩みや苦しみであり、そこからの脱却を目指すのが仏教で、「解脱」「浄土往生」はその到達目標です。

 仏教における輪廻転生は、人知を超えたところでの働きで、それを論議したり、その経路云々を問題にするのは執着の心であり、無駄なのです。あるがままを受け入れればよいのです。釈尊の屈指の高弟であった目連でさえ、前世の行為の報いを受け、撲殺されるという憂き目にあっています。輪廻の法則からは逃れえないのです。目連は、それを受け入れたことで、心の垢を完全に洗い除くことができ、輪廻から開放され、涅槃に入りました。つまり、善業を縁として得る悪業の報いを甘受することによってこそ、解脱できるということです。 

(平成7年3月)