大江健三郎氏から

 十月十四日の朝刊の一面は、ほとんどの新聞が、大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞のニュースを伝えていました。こぞってその偉業を讃え、その活字の大きさが、その賞の重みをしっかりと示していました。

 私が読んだ氏の作品は、芥川賞作品である『飼育』や『性的人間』『芽むしり仔撃ち』等九編を収めた文学全集の一巻と、岩波新書の『ヒロシマ・ノート』くらいのものです。これらは、氏が三十歳までのもので、ごく初期の作品です。それを、私がちょうど二十歳の頃の読んだものですから、その記憶も理解もおぼつかないものですが、ただ『死者の奢り』だけは、医科大学の解剖用の遺体を、新たに出来たアルコール槽に移すアルバイトをした一学生がそこで見たものを描いた、特異ともいえる題材であったがため、今も強く印象に残っています。

 他の作品においては、『ヒロシマ・ノート』は別として、性に対するあくまで客観的描写が、決して卑猥なものとしではなしに、その頃の若かった私の心には、とてもインパクトの強いものであったように記憶されています。それは、三島由起夫の作品でも感じたことですが、あまりにも研ぎ澄まされたその感性に、読んだ後に、かなりの疲労感を伴い、私にとっては、安心して接することの出来る作家ではなかったという思いがしています。もっとも、読者になにがしかの負荷を強いるものでなければ、純文学とはいえないのかも知れません。

 ところで、話はかわりますが、最近の週刊誌をご覧になったことがありますか?

 先だって、近所の銀行に置いてあるのを見て驚きました。「これが、解禁になったというあれかぁ」ということで、変に納得して帰ってきたのですが、芸術と呼ばれるものは、やはり、ここを避けて通ることは出来ないもののようです。流れとしては、絵画彫刻の世界、そして文学、最後に写真がいちばん遅れて認められたということでしょうか。でも、写真はストレートになりすぎるきらいがあり、いけません。この点に関しては、文学に勝るものはないと思います。そして、大江氏の作品は、こんなからめ手から評価するのは、たいへん心苦しいのですが、その描写は見事だと思います。

 一方、仏教においてはどうかというと、原始仏教では実に厳しいものでした。特に、修行者に対しては「異性に近づくな」「見るな」「想像もするな」と、徹底していました。しかし、大乗仏教になると、少しニュアンスを異にしています。

 禅家の公案に「婆子焼庵」というのがあります。中国での話ですが、あるお婆さんが、美しい娘と暮らしていました。このお婆さんは信心深く、二十年来、一人の仏道修行者に庵まで建てて、面倒をみて供養に勤めました。そしてある日、老婆は何を感じたのか、娘に言い含めて誘惑させます。修行者は、「枯れ木が凍りついた岩に寄り添ったようなもので、何の色気も感じない」といって、突っぱねました。娘がそのことを伝えると、老婆は「見損なった」と、すぐさまその修行者を追いだし、彼が住んでいた庵も焼き払ってしまった、というのです。

 はて、模範解答を出した修行者であったはずなのに、なぜ老婆を怒らせたのでしょうか。ならば、娘を抱いてしまえばよかったのでしょうか。やはりそれもまずいわけで、では、どうすればよかったのでしょう。それを考えるのが、この公案です。ここには、大乗仏教における、性・愛欲についてのひとつの答えがあるような気がします。(94/11)