八幡さんのこと

 私どもの町内に、お宮さん、昔風にいえば村社があります。笹之宮神社といい、天宇受売命(アメノウズメノミコト)を祀り、通称はおかめさんといっています。並んで、天王さん・秋葉さんも祀られています。同じ境内に、熱田神宮直轄の南楠社もあります。皆さまの住んでいらっしゃる地区にも、おそらく、神社があるかと思いますが、どのような神様が祀られているかご存じでしょうか。戦前・戦中派の方はよくご存じかと思いますが、戦後生まれの方は、案外、見過ごされている場合が多いようです。

 そんな全国に大小ある神社の中で、比較的よく見かけるのは、神明社と八幡社です。神明社は、「天照大神(アマテラスオオミカミ)、あるいは伊勢の内・外宮の神を祀った全国各地にある神社」ということですから、多いのもうなずけます。一方の八幡社は、末社の数が全国の神社のほぼ半数にも達するといわれ、人気の非常に高い、代表格の神様といえそうです。ところが、この八幡さんは、神様でありながら、八幡大菩薩と呼ばれることもあり、そのあたりの事情や何やかや、少し詳しく、八幡さんについて調べてみることにしました。

 ご存じのとおり、仏教は、大陸から伝わってきた宗教です。当初、仏を単に外来の神として、日本の神と同列でとらえていたようですが、やがて、仏教は、思想・儀礼・組織、あるいは建築・工芸・医療など、あらゆる面ではるかに高度で強力な宗教であることが分かってきます。すなわち、仏教を受容すれば、大陸の最新の文化を取り入れることができるということになり、仏教の優位性が必然的に確定します。そうした状況下、古来の神々は、次のような三つの形態でもって、その存在を保持しようとしました。

一 神は迷える存在であり、仏の救済を必要とするという考え方。
二 神は仏法を守護するという考え方。
三 神は実は仏が衆生救済のために姿を変えて現れたのだという考え方。

 ただ、これらは日本独自のものではなく、仏教本来にあった考え方を、日本風にアレンジしたものといえます。第一の形態は、神を、輪廻の対象である六道のうちの「天上界」に相当するものとしてとらえ、第二の形態は、インドにおける梵天・帝釈天のような護法神としてとらえ、第三の形態は、『法華経』解釈において重視される、いわゆる本地垂迹(ホンジスイジャク)に相当するものです。

 さて、八幡さんはというと、『続日本紀』に、天平勝宝元年(七四九)、宇佐八幡宮の宣託があり、大仏造営を援助するために、上京したという記事があり、第二の形態の護法神という色合いを濃く出しております。八幡信仰の中心をなす宇佐八幡は、もともとは北九州の地域神で、海の神とも銅山の神ともいわれ、特に、応仁天皇の霊と習合して、勢力を持つようになったといわれます。宣託をよくする神としても知られます。

 大仏造営の際、東大寺の鎮守神、手向山八幡となり、平安時代初期、僧の行教によって平安京の南、男山に勧請されて石清水八幡となり、鎌倉幕府の開幕とともに鎌倉に迎えられ、鶴岡八幡となり、このような有力社を拠点として、八幡信仰は、全国的に広まったということです。例の「八幡大菩薩」の称号は、平安初期のいくつかの史料に見ることができ、また、僧形八幡の神像が造られるなどし、仏教とは、きわめて緊密な神ということができます。

 もっとも、明治に入って、神仏分離により、石清水・宇佐などの八幡大菩薩の称号は廃せられております。(94/7)