豊牧では、かなめに当たる所に長者すずという泉があるので、まずこれを利用しましたが、家族が増えるにつれて水が不足したので、次のような工夫をしました。人間の体で言えば、背中の肩に近い所にある水源の水を、おなかにあたる所の田に引くために、わき腹を通りおへそのあたりまで、ぐるりと用水掘りを作るという工夫でした。 1691年にその工事に着手するまで、長南氏は必死に知恵をしぼったのでしょう。このような土木工事はどこにでもあるというものではありません。 土地の長南氏の話をまとめてみると、夜間にちょうちんを持った人を山の中腹に横一列に一定間隔でならばせ、離れた所から水が流れる傾斜に合わせて人間を上下に動かして、ゆるやかな斜めの線を作り、それらの人の立った所にしるしをつけ、昼間しるしをつなぐ溝を掘ったのだろうということがわかりました。 長南氏は、さらに世帯数が増えるにつれ新田を開くのに、水がよけい必要となり、1724年には、溝巾をひろげるための工事費用を藩から借用したのですが、そのときのお願いの文書が長南氏に残っています。(875頁) この用水は今でも冷たい、すきとおった水がなめらかに流れ長南氏の田を広く豊かにうるおしています。 |