屯田兵(とんでんへい)になった長南氏

   宮城県の石巻市の、西10キロの所に河南町(かなんちょう)があり、その中に広渕(ひろぶち)というところがあります。

  広渕にいる長南氏が、左官屋(さかんや(かべぬりをするひと))になって寒風沢島へ仕事に行った時この島に長南という名前が多いのを見て驚いたそうです。

  寒風沢では、昔といっても江戸時代の中頃に広渕へ分家した人があると言い伝えていますが、広渕の人は自分たちの祖先がどこから来たのかわからないといっています。

  この地方で、大がかりな土木工事が行われ、新田が開発されるようになったのは1665年よりあとで、長南三太郎(ちょうなんさんたろう)という最も古い祖先は1685年に生れました。

  いま住んでいる長南家の4世帯は、三太郎の子孫で、明治になってからは屯田兵となって北海道に渡った人もあります。屯田兵というのは、家族ぐるみで移住し、ふだんは原始林を切り開いて農地を作る仕事をし、万一のときは北海道を外国から守る人で、1875年に初めて募集し、1904年に廃止されました。

  屯田兵には、主として奥羽地方から応募する人が多く、長南氏も各地から参加したようです。屯田兵をやめてからも、多くは定住しましたからこれが縁となって渡道する人が多く、いま札幌その他で活躍している人に、広渕出身の祖先をいただく人があります。(1074頁)