四国に渡った長南一族
1615年に、伊達正宗(だてまさむね)の長男の秀宗(ひでむね)は分家して四国の宇和島に行きましたが、そのときつれていった57人の武士の中に長南氏がいます。
しかし、わけがあって長南の名は名乗らずに伊達正宗からもらった船山(ふなやま)という名を用いていました。宇和島の伊達家は明治維新まで続き、古い文書もそっくり残っていて、その中に船山氏がたくさんでてきます。(1092頁)