全国長南会   ホーム  / 長南氏年表 / 世帯数 / 長南氏歴史物語 / 著書の紹介
  中村就一の紹介 / リンク / 掲示板
震災後9カ月の寒風沢島へ

  平成23年12月23日(金)午前4時半、参加者7名を乗せたワゴン車は、暗闇の中、青宿から常磐道桜土浦インターへ向け出発、目的地は宮城県塩竃市寒風沢島。

あの3.11大震災から約9カ月が過ぎ、民宿潮陽館が一部再開開業したので、陣中御見舞と激励に行こうということになったのである。

午前9時発塩竃私営汽船の寒風沢島行きに乗るために、早朝の出発となった。天候は曇り時々晴れだったが、途中東北道の福島、宮城の県境にある国見S.Aに立ち寄ると雪が降っていた。

  午前8時30分、天気は晴れ。ワゴン車は塩竃マリンゲート到着。桟橋、切符売り場は復旧しているようだったが、駐車場や近辺の建物には津波の傷跡が残っていた。

9時発の船に乗り込み、寒風沢島までは45分間の船旅だ。途中桂島、野々島を経由するが、桟橋付近の防波堤が、地震による地盤沈下のため沈んでいたり、海岸に瓦礫が積まれていたり悲惨な状態だった。

寒風沢島に近づくと、桟橋付近の建物は壊滅状態で、重機が瓦礫の撤去を行っているのが見えた。桟橋は津波で流されたため、島の東側の漁港付近に仮設の桟橋が作られ、船はUターンして寒風沢島に接岸した。
 
兼夫さんご夫妻との再会

  仮設桟橋には潮陽館のご主人長南兼夫さんが軽トラックで待っていて、潮陽館まで送迎。奥様とも平成22年1月以来約2年ぶりの笑顔の再開であった。

  一行は、まず最初に共同墓地へ行き、五輪塔と長南和泉守の墓に献花した。幸い、高台のため津波からは免れたようで安心したが、他の墓は墓石が倒れたり、ずれたりして修復した跡があるものもあった。また、墓地から見える田んぼは、いまだに潮水が入ったままの状態で、米を作れるまでには当分時間がかかりそうである。

寒風沢島仮桟橋到着 和泉守墓地にお参り
和泉守墓地にお参り 浸水している田んぼ
牡蠣のバーベキューとランチ

墓参りから帰ると、兼夫さんの計らいで潮陽館の庭でのバーベキュー。牡蠣を鉄板にころがして、生のまま食べたり、焼きあがったものを食べたり思いがけずにうれしいサービスだった。その後は、部屋に入っての昼食。新鮮な海の幸をいただき、至福のひとときを過ごした。

潮陽館でバーベキュー 牡蠣食べ放題
海の幸でランチ

  食事をしながらの兼夫さんのお話によると、津波は外洋の方(東側)からではなく、島々を巡って塩釜港の方(西側)から押し寄せたそうで、島の東側の漁港側より、西側の塩竃側のほうが津波による被害は大きく、寒風沢桟橋から西側の建物は壊滅状態だった。震災時に潮陽館の西側にある電柱が倒れて、そこに流されてきた家や瓦礫が止められ、津波の水の流れが変わり、潮陽館が流されずに済んだのではないかとのことだった。奇跡的に助かったのは、御先祖の長南和泉守が守ってくれたのにちがいないと思う。

  潮陽館は津波のため1階の半分ほどの高さまで浸水したということだが、現在は以前と同様に復旧しているようだった。漁港そばの牡蠣の作業場は、地盤沈下で海水が入り使えない状態で、寒風沢の人は桂島まで行って牡蠣の作業をしているとのこと。東側の漁港(漁船が停泊しているところ)も隆起したり沈んだりしたところがあり、空き地には鉄くず、木片、流木など仕訳された瓦礫の山が10mほどの高さにいくつも積み上げられており、流されたと思われる軽トラックも1カ所に集められて20台以上重なっていた。そして、今でも重機で瓦礫の撤去作業が行なわれており、島全体の復旧はまだしばらくかかるだろう。

浸水した牡蠣の作業場 積み上げられた軽トラック
集められた瓦礫の山 午後になると高潮のため仮桟橋は浸水する
瓦礫の収集作業中 以前の桟橋付近 重機で瓦礫の撤去作業
帰路へ

  船の時間の都合でやむなく午後2時18分の船に乗り込み寒風沢島を後にし、塩竃マリンゲートから、ワゴン車で松島瑞巌寺に立ち寄り長南和泉守の栽松記念碑を見学して帰路についた。

  帰り道も、国見S.Aだけは朝と同じように雪が降っていた。

  お土産の新鮮な牡蠣はこれまでよりも大粒で大変美味しかった。