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                  | マリンゲート塩竃 | 
                  市営汽船乗り場 | 
                
                
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                  | 小雨の中の島巡り | 
                  今回のメンバー紅二点 | 
                
                
                  | 寒風沢島到着 | 
                
                
                   
                    約45分の乗船の後、寒風沢島が見えてきて、新しくなった桟橋に、潮陽館の長南兼夫さんの顔が見えた。やがて船は接岸し、なつかしい顔に、青宿一同は手を振りながら近づき、兼夫さんと2年ぶりの再会を果たした。10時15分、その時は弱い雨降り。 
                      
                    潮陽館で、しばしくつろいだ後、正義さんが潮陽館に顔を見せ、和泉守の墓参りのため、軽トラックの運転を買って出、兼夫さんの軽トラと2台で、丘の上のお墓に向かった。 
                   
                    途中、海と刈り入れが終わった田んぼと懐かしい景色が見えてきて、3年前の和泉守法要式典と2年前の瑞巌時記念碑除幕式のとき訪れた感慨がよみがえってきた。しかし、雨が次第に強くなる。 
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                  | 寒風沢島到着 | 
                  共同墓地 | 
                
                
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                  | 雨の中の墓参り | 
                
                
                   
                    青宿から用意してきた花をお墓に供え、線香をあげ、傘をさしてのお参りになり、本降りになる前に潮陽館に帰ろうと軽トラの荷台に乗り込んだが、帰り道は大雨になり傘をさしながらだったが、ズボンから下着までずぶぬれになってしまった。 
                      
                    潮陽館の女将さんの話では「こんな大雨は30年ぶりだな。」ということなので、青宿一同の中に雨男か雨女がいたのだろうか。 
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                  | 戊辰戦争と寒風沢島 | 
                
                
                   
                    幕末の終わり、戊辰戦争は、東北、北海道へと舞台が移っていきます。榎本武揚率いる榎本艦隊が慶応4年8月、開陽丸ほか幕府艦隊を率い松島湾に入ってきました。江戸から箱館に向かう途中、台風や政府軍の攻撃で負傷した軍艦の修理のためでした。場所は松島湾浦戸諸島の寒風沢島他4島です。 
                   
                    当時浦役人を命じられていた寒風沢の長南清八郎は、南部藩などからも応援を頼んで軍艦の修理をしたそうです。清八郎は1600年代、上総から来た長南和泉守から11代目にあたります。 
                   
                    10月に修理が終わるまで、幕府軍は各民家に分泊したそうですが、その中に土方歳三もいました。多分土方歳三は、大鳥圭介とともに宇都宮、日光、会津と転戦し陸軍副長として仙台に入っていますから、ここで合流したのかもしれません。 
                   
                    寒風沢島を出航する際、榎本武揚はそれ相当の賃金や謝礼を各戸に支払い、艦に引き上げました。 
                   
                    翌年明治2年3月、榎本幕府軍を追って官軍が入港し、2日間停泊しましたが、浦戸諸島より物資を徴発し、浦戸諸島には鶏までいなくなり、徹底的な経済の打撃を受けたそうです。その際、記録、文献まで持ち去られたといい、ある旧家では今でも獅子頭を門戸より入れない程の凝りようであるといいます。 
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                  | いよいよ牡蠣づくし | 
                
                
                   
                    墓参りから潮陽館に帰ると、牡蠣料理の準備ができていた。 
                   
                    メニューは牡蠣酢、魚介類のフライ(牡蠣フライの他、キス、えび等の盛り合わせ)、牡蠣の田楽、牡蠣鍋、その他、まぐろとかれいのお造り、カニなど盛りだくさんだったが、全部たいらげてしまった。 
                   
                    本来は潮陽館の前庭で牡蠣のバーベキューを行う予定だったが、あいにくの大雨になってしまったため、兼夫さんと正義さんの計らいで、牡蠣の加工場で牡蠣の鉄板焼きと生牡蠣を食べようということになり、潮陽館をあとにして一同傘をさして加工場に向かい、兼夫さんと正義さんが手際よく剥いた牡蠣を生で食べたり、鉄板焼きを食べたり、寒風沢の牡蠣づくしを堪能した。(私が食べた牡蠣は約50個くらいなので、10人で500個は食べた計算になる?) 
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                  | 牡蠣料理を囲んで | 
                  奥に潮陽館の兼夫さん | 
                
                
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                  | まぐろ、かれいのお造り、魚介のフライ、牡蠣酢 | 
                  カニ、牡蠣鍋、それに生牡蠣をどんぶりに追加 | 
                
                
                  | 名残惜しい寒風沢島を後に | 
                
                
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                  | 松島瑞巌時、長南和泉守記念碑見学 | 
                
                
                  おくのほそ道 「瑞巌寺」の段の訳文 
  
  十一日、瑞岩寺に詣。当寺三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。 
其後に雲居禅師の徳化(とっか)に依て、七堂甍改りて、金壁荘厳(しょうごん)光を輝、仏土成就の大伽藍とはなれりける。 
彼見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。 
 
                  《訳文》 
                  十一日(実際は九日)、瑞岩寺に参詣した。この寺の三十二代目にあたる昔、真壁平四郎という人が出家して唐(実際は宋)に渡り、帰国後、再興して禅寺を開いた。  
その後、雲居禅師の、徳によって人を善に導く努力により、七つの堂の建物が立派に改築され、金色の壁や仏前の飾りが光り輝き、仏の住む世界をこの世に実現する(極楽浄土の)大寺院となったのである。 
                  (西行が、能登の洞窟でめぐり会い、その後、松島に尋ねたという)かの見仏上人の寺はどこにあるのだろうと、慕(した)わしい心持ちになった。 
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                  | マリンゲート塩竃から15分。松島瑞巌寺に到着 | 
                  洞窟遺跡を進む | 
                
                
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                  | 長南和泉守記念碑の前で | 
                  おや、松尾芭蕉が一休み? | 
                
                
                   
                    帰途は、途中東北道菅生PAで給油、中郷で軽食をとり、青宿着が21時だった。 
めいめいが潮陽館で買った牡蠣のお土産を持ち、自宅へと帰った。 
 
                  今回の参加メンバー(10名) 
                   
                  長南武、長南忠行、長南照光、長南清、長南高男、長南栄一、長南秀則、軽部和男、長南涼子、貝沢明美 |