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全国長南会通信  34号
2009年1月1日発行  全国長南会
 

 砲術隊の全隊員による点射演武。(上写真)

(左写真) 
庄内松山藩荻野流砲術隊の長南達巳氏が膝放しを構えたところ。

  達巳氏は庄内町に住み、業余に砲術を嗜む。三河の国から酒井侯に従って来た多助系の長南通明は酒井藩の鉄砲隊長であったから、その伝統を継ぐものか。

僕の家はエコタウンのかたまりだ      
 ぼくの家では、米、花、野菜を作っています。そして、家のまわりには木がたくさんあります。今年の夏もセミがたくさんいて、ものすごい音がしました。
 そして、庭にはセミの出てきたあながいっぱいあります。ぬけがらもすごいです。ぼくは、小さい時にビニール袋にばんばんとつめたおぼえがあります。

お手伝い

 ぼくは家の人が手伝いをしてほしいと言う時は、たいていお手伝いをしています。仕事はいろいろあります。この間は、ハウスのサイドにビニールはりの手伝いをしました。
 おぼんの時は、花をそろえて切ってラップいれをしました。暑くてたいへんでしたが、みんなも暑いので、首にタオルをまいてがんばりました。

 千葉から来たいとこの、もえちゃんとかなちやんもおぼんの花作りを手伝います。

 その時はみんなに、おじいさんがアルバイト代と言っておだちんをくれます。いつもより多いのでみんなよろこびます。

  食事の時は、よく「今日の枝豆は公平くんが、もいだ豆だよ」とか、「このトマトはお姉ちゃんが畑からもいできたのだ」とか言って食べます。それからお母さんからは「畑に行ってピーマンとってきてくれ」とか「ナス4ことってきて」などとよくたのまれます。畑にはいろいろ野菜が育っているので、野菜の名前はたいていわかります。
 
藤島小5年  長南公平
  イナゴしめ

 さいきんになって田んぼにも、畑にもイナゴがたくさん見えてきました。ぽくはイナゴにも思い出があります。小さい時はいねかりについていって、いつの聞にか虫かごいっぱいのイナゴをとってびっくりされたことがあります。いねかりが終わった田んぼには、おばあさんたちがイナゴしめをしているすがたをよく見かけます。イナゴは朝つゆのあるうちにしめたほうがつかまえやすいそうです。
 「ぼくの好きな野菜は?」たいていの物は食べられますが、にがてなものもあります。それは、ゴーヤ、みょうがです。好きな物はじゃがいも料理とオクラ、トウモロコシ、技豆などです。とくに、じやがいもと、ワカメのみそ汁は大こう物です。一年中でも食べられます。

 家族が食べる物を家族で作っているぼくの家は“エコタウン”のかたまりです。

       (藤島の長南力氏の子息、耕午・美津夫妻の長男)
長南姓全世帯にもれなく縮刷版      長南成
   10年はど前に、長南会の歴史を語る会で、参加要請のため私は旧鶴岡市内の一族70世帯ほどの、各家庭を電話帳を頼りに10日はどかけて訪問しましたが、その時の見た目では高齢化が進んでるな−という感じでしたが、この度の訪問ではその時の感触の強かった方、上田沢含めて34世帯、明垂さん7世帯含め41家族を回って見てびっくりしたことは、その内の8世帯が消えていました。

 核家族制度が進み、高齢化がピークを迎えている現状を実感し、やがては我が家もと思うといたたまれない淋しさを感じさせられました。

 そんな中で、嬉しいニュースもあります、一雄と、敏雄さんは、最近亡くなりましたが、その奥様2人が参加したいという返事があり、本当に有り掛いという思いと、誠意の心は通じる事を感じました。

 9月25日の庄内での語る会には、最低でも20名は確保したいという願望で頑張っています。
                                                              (庄内長南会会長)

配布の奉仕を志願してくれた会員

 地域 世帯数 引受会員  引受範囲
 酒田   35 長南利幸  市内全域
 鶴岡   26 長南 成  市内
 鶴岡    7 長南明重  市内
 新屋敷    4 長南 力  全域
 肝煎   30 長南二郎  全域
 櫛引    9 長南源一  全域
 上田沢   8 長南 成  全域
 沢新田  24 長南由市  全域
 狩川    16 長南寿一  半分
 狩川   29 長南一美  半分
 豊牧   29 長南孝一  全域
 新庄   29 長南真智子 市内全域
 合計   246 皆様ご苦労さま
    入退院の合間に

 新庄市の長南真智子さんは、市内全部を配りますと、二つ返事で快く引き受けてくれた。

 しばらくして電話して様子を伺うと、「先ほど退院してきました」という。それじや配布をお願いしたのは、無理だったのかと思い、お詫びすると、「いえ、もう少しですから、続けます」という答え。

 数日すると、新庄郵便局から「この方は住んでいません」として5通が戻されてきた。

 今回の配布では、どの市町村でも、住んでいないとか、亡くなって家族もなく配布できない等が1割強あることが判明しているから、彼女は入退院の合間に最善を尽してくれた事は明らかだ。全く感謝のほかはない。

配布引受けます
                                                       長南 由市

  本日8月27日、高価な贈物(縮刷版)が届きました。何時も先生からは、心をかけて戴き恐縮の至りで御座います。

 今回の冊子の配布は、私の在任中(全国長南会の地区責任者)の集大成と位置づけて、沢新田長南氏12戸、連枝9戸中8戸、それに沢新田連枝出身で余目地区に在住する5戸と、以前より古関に在住する1戸を加えて25戸。

 果して此の25戸のうち、(9月25日のルーツの会)当日何人出席する方が居りますか危惧される処ですが、個々の自由意志に侯つしかないと思って居ります。

 蛇足ですが、私は昨年から突発性難聴を発症し、聴力を失いました。通院しましたが、この種の難聴は回復は不可能なものだそうです。電話の通話もままになりませんので、取り急ぎ書面にて御礼を申上げます。

些少ながら
                                                   小高 春雄

 長南会を主導して来られた中村さんの、日々のご苦労に敬服の念を感ぜずにはおれません。民間の団体にあって事務も資金も個人ないし有志の提供によって成り立つわけですから、単なる趣味を越えた強い意志も必要なことでありましょう。

 さて、私は今まで中村さんのご厚意に甘え、情報を得るのみで、内心心苦しく思っていました。些か時期を失した感もあるのですが、些少ながら通信責代として同封いたしましたので、ご活用戴ければと存じます。(市原市)
 
    記念切手を一掃
                                                        鈴木 彩子

  お礼が大変遅くなりました。縮刷版有難くいただきました。誌代金代わりに切手がお役に立つようなので、探してみました。残っていた分をありったけを送ります。いつも有難うございます。 
                                               (福田町の出、新宿区)

狩川出身です
                                                            長南 隆

 色々と長南氏の歴史を研究していただき、感謝しております。私は現在、多賀城市に住んでいますが、出身は山形県庄内町狩川です。ところで福島県境石町には長南姓でもオサナミと呼ぶ方が居られますね。
 切手を、とありましたので探したところ、年賀状で当った切手がありましたので、早速送ります。お役に立てていただければ幸いです。
 縮刷版にお礼の切手有難う
     中間報告 2008.8.15〜10.27
 氏  名  住所  種類 金額円
 ルーツの会最上参加者一同 12,000
 長南  正 仙台市     2,000
 長南  隆 多賀城市    10 2,580
 斎藤 武夫 大田区    20,000
 長南 五郎 山形市     1,000
 長南 亀悦 利府町    1  4,000
 糸谷  聴 酒田市     5,000
 小高 春雄 市原市     5,000
 鈴木 彩子 新宿区   3  1,720
 白井ヒサエ 蒲郡市     5,000
 ルーツの会庄内参加者一同 15,000
 ルーツの会豊牧参加者一同 12,000
            計 85,300
七五三雑学
通りゃんせに2番の歌詞があった

  「通りゃんせ」に2番の歌詞があることを知る人はそう多くはないであろう。「通りゃんせ」は江戸時代から歌われているわらべ歌。
  「天神様」は川越市の三芳野神社のことで菅原道真を祀ったことから学問の神様として親しまれている歴史ある(9世紀初めの創建)神社だ。

♪ご用のないもの通しゃせぬ の歌詞は、そのころ神社が城内にあったため、番所の見張り番が庶民の出入りを厳しくチェックしていたからではないかといわれている。

♪7つのお祝いに は七五三の宮参り。ここの歌詞に「子供は7つまでは神の子供」という古い言い伝えが反映されている。
庶民が城内に入り、参詣できたのは、初詣か七五三のお祝いの時だけで、

♪行きはよいよい帰りはこわい 城内に入ったはいいが、見張り番の視線が厳しく、子供たちがこわごわと帰る姿を哀愁を帯びた本居長世のメロディーがよく表現している。
   
♪通りゃんせ 通りゃんせ お宮のご用がすんだなら
    この道通って帰りゃんせ

お宮のご用はすんだけど かわたれ時にはお化けが出ます

お宮のおみやげなに買うた おすしにお団子かしわもち

おすしをくれねば通らせぬ おっとさんのおみやげあげられぬ

お団子くれねば通らせぬ おっかさんのおみやげあげられぬ

取った子返せば通らせる 返しましょう 返しましょう
右  川越市 三芳野神社
親子兄弟姉妹その子たち集い  長南氏のルーツを語る会41最上
    中村講師ご夫妻へ感謝の御礼

 今回は大蔵村長南与三郎系父金三郎の子供達従兄弟会主催の行事に山形県最上町まで遠路わざわざお越しを戴き長南氏のツールを語る会のご講演をしていただきまして心から感謝の御礼を申しあげます。十分な準備対応が出来なかった事申し訳なくお詫びと反省をいたしております。

 本来ですと、私の子供夫婦初め他の兄弟夫婦子供達も参加の予定でしたけれども、お盆の行事他久し振りに故郷に帰った事で友達との約束やら学校の都合等で、思うような人員が集まらずせっかくの長南一族の貴重なお話を聞けなかった事が少々残念に思っております。

 今年は4月に京都講演8月には山形最上町での講演と私の親戚兄弟の子供達を中心に2回も長南氏のルーツについて講演をして戴き本当に有難がたく感謝を致しております。
 
前列左から 多二善 中村講師ご夫妻 喜書 中列左から めぐみ 妃都美 譲 信子 ス工子 後列左から 留美子 茂雄 伸也 博 一弘

  最上町講演に参加をして初めて自分の両親に繋がる 由緒ある−族の遠い先祖の歴史を60数年に及ぶ中村先生の研究に対する熱意とそれを支えてきた奥様やご家族皆様の日ごろのご努力には私だけではなく長南一族に繋がりのある−人一人が心から感謝の気持ちで今回の講演を聴きこれからの自分の人生に何かを学び心の、大きな支えとしてそれぞれの人生を歩んで行ってくれると信じております。私自身も中村先生の出版して戴いた長南氏の研究を何度も読み由緒ある偉大な先祖の事を少しでも兄弟や子供達にどうしても伝えたい。こうした一念で私なりの伝える方法として長南氏の年表と家系園をまとめそれぞれの家族に配布しましたが何も知らなかった。

  自分の由緒ある先祖を知り子供達にも伝える事が出来る我が家の家宝が出来た。と言って書こんでもらっております。今回の講演を聴いて更に感激を新たにしており心の何処かに今までと違った自分へのこだわりが芽生えて来ている事と思います。今回も遠路おいでを戴き貴重な講演を本当に有難うございました。まだまだ暑い日が続きますがご健康に留意され更なるご活躍を念願いたしております。   9月は庄内大蔵村新庄でのご講演とか、、。

  今回は大蔵村の長南万四郎さんの子孫孝一様にお逢い出来た事も一族の縁であり、涙が込み上げてくるほど嬉しく感激を致しました。講演会に来て下さる事をひそかに期待しながらも、一緒に講演を拝聴する事が出来ました事本当に嬉しく思っております。

 9月 孝一さんが主催する大蔵村での講演会に一族関係者が一人でも多く参加され、由緒ある長南一族への知識をより以上に深めて戴だけるものと信じております。

 皆様からの 便りを楽しみに致しております。

 尚講演の当日、狩川の長南一美氏(NHKプロジ工クトX出演)「おらほのむがしあったけど」庄内地方の民話著+出版等ご活躍されておりますがご本人から電話を戴き前日の大雨で陸羽西線国道も遮断され今回の講演会には身動ができずわざわざご連絡をいただきました事厚くお礼申し上げます。いつの日かお逢い出来ればと思っております。

                                           2008年8月26日                                長南 喜善

小松多二善
  全国長南会長南氏のルーツを語る会 の講演会には今回始めて参加を致しましたが中村講師の気の遠くなるような熱心な研究とご努力には感心するばかりで長南家に生まれた一人として心から感謝をいたしております 兄貴の書いた年表家系図も参考にしながら子供達に語り継いで行きたいと思います大蔵村は山菜取り等でよく遊びに行く所でもありこれからは今まで以上に先祖の地に感心を持って訪ねて見たいと思います

長南一弘
  喜善叔父さんから昨年長南氏の年表と家系図を貰い説明を聞いた時、中村就−さんと言う方に是非逢って見たいと思っておりましたが今回叔父さんから従兄弟会に中村さんが来てくれそうだ。との連絡を聞いてまさかと思い信じられない気持ちでした、、、私の子供達にも本当は聞かせてやりたかったのですが学校の事もあって今回は聞けなかった事が少し残念でした。由緒ある長南一族の素晴らしい歴史を 中村講師から直接お聞きする事が出来て本当に感激をし気持ちの引き締まる思いでした。本当に有難うございました。

長南 茂雄
  この度は遠い所わざわざ僕等従兄弟会のために最上町まで来て頂きまして、本当に有難うございました。色々な歴史全般についてはあまり興味がないほうでしたけれども、自分の先祖の歴史について直接研究をして来られた中村先生のお話を聞いて、由緒ある長南一族の素晴らしさを知り誇りに思いました。これからの大きな励みにしたいと思います。それと、中村さんは本当に85歳ですか。と喜善叔父さんに聞いた程新庄駅で新幹線に乗る時走っているのには驚きました。これからも健康に留意されまして、ご活躍されます事を期待しております。
  大場 伸也
  喜善叔父さんから全国長南会の事や長南一族、自分に繋がりのある先祖の事を色々聞いておりましたけれども長南氏の歴史を研究して来て更に研究調査をし講演活動をしておられる中村先生のエネルギーには本当に驚いております今回は貴重なお話を聞く事ができまして感謝をいたしております。有難うございました。

大場 聖真(小学三年生)
夏休みの宿題の 一つにしようと思っていたけど僕にはちょっとむずかしかったのでとちゅうから啓吾兄ちゃんと部屋をでてしまいましたが、あとでお母さんに教えてもらうおうとおもいます。

大場 めぐみ
  喜善叔父さんから、今回の講演会についての手紙を貰っておりましたので、子供と一緒に参加をしましたが判らない事もいっぱいあってメモを取りましたが子供に説明出来るように頂いた資料や喜善叔父さんの資料を見ながら勉強したいと思います。有難うございました。

長南 博
  全国長南会の講演会のある事も知らずに、おばあちやんの初盆なので家族で山形に行きましたけれども丁度タイミング良く自分の遠い先祖の素晴らしい話を聞く事ができまして嬉しく思っております。昨年喜善叔父さんから長南氏の年表と自分達の家系図を書いた資料を戴いて我が家の家宝が出来たと言って家族で喜んでおりましたが今回は直接研究者の中村先生のお話を緊張と感激をしながら聞く事が出来まして本当に有難うございました。千葉の長南町は埼玉からは比較的近いので一度先祖の地を訪ねて見たいと思います。
 
第7回長南松島まつり
     さる9月7日10時、この日は、前線の影響で雨もようの天気だったが、幸い降らず、瑞巌寺の遊歩道の栽松記念碑の前は、参詣の客がひっきりなしに通る。
 定刻には、全国長南会会長長南俊春氏、長南親雄氏(松島町、元寒風沢第一小校長)らが記念碑前に顔を見せている。
 寺では、当日雲居禅師の350年遠忌とあって、忙しい様子だったが、禅師に相談されて黒松を島々浦々に植えて、松島を創成した長南和泉守の記念碑の5周年記念供養とあって、笹山光紀師みずから導師を勤めて頂いた。

 師の唱える大悲心陀羅尼は、朗々として、これも江戸時代初期に長南氏が寄進した杉木立に響きわたる。

 かねてお願いしてあったから、笹山師は「これは、今朝拵えたばかりの美味しいお饅頭ですよ」と言って、山盛りのまま全部を下さったので、午後のルーツの会のために有難く頂戴する。
左から 明日香、みさ子、秀明、親雄、中村ひさ、笹山光紀師、中村、俊春
三代揃っての快挙

 これまで寺との連絡責任者だった長南修治氏が2007年3月24日に死去されたので、今回はみさ子夫人、令息秀明氏とその娘明日香さんが参加した。

 当日の参加者は、中村夫妻を含めて7名だが、このほかに親雄夫人京子さん、塩釜市の星川十一氏からは、会費、寸志、お花代などを頂戴した。

 見違える元観音墓地。迎えの船で親雄氏以外の6名は、寒風沢に渡り、休憩の後に長南兼夫氏の車でお墓参りに。
 着いてみて驚いたのは、この墓地は、数年前は古い祖先の墓石が散乱していたのに、今回は見事に整備され、古碑も全て建てられるか、立派なお墓に並んでいることだった。
 
   早速、和泉守夫妻と忠臣36士供養の五輪塔前で、香華を手向けて、われわれ全員で般若心経を読請した。
 続いて、長南家の無縁の祖先を集めて供養するための五輪塔でも同様に読経して、この島での行事を終え、兼夫氏の潮陽館で、新鮮そのもののウニその他海鮮料理で昼食を頂いた。

 毎回のことながら、この島には橋がなく、本土と隔絶されているお陰で、豊かな自然がそのままで、むせかえるばかりの新緑に身心ともに洗われる心地だった。

 定期的に和泉守のお墓に花を供えてくれる長南兼夫夫妻に感謝する。さらにその花代を途切れることなく送金されている東京の斎藤武夫氏の、遠い祖先を思う真心には頭が下がるばかりである。

4回目ルーツの会
                                  塩釜「丸長寿司」で

 その後市営汽船で塩釜市に出て、長南政直氏経営の丸長寿司店で「長南氏のルーツを語る会41塩釜」を開催した。

 朝鮮古代から長南氏へ

 そこで、今回は趣向を変えて、道真公から300年遡り6世紀の大和民族の移動から話を進めた。
 市内の長南勘一氏は、船長さんだから、船を出す仕事で忙しく、瑞巌寺には欠席だったと、残念がっていた。そこへ、ご婦人が一人、聞けば長南喜悦氏の弟の奥さんのサカ工さん。

 毎回、瑞巌寺から寒風沢の行事には欠席したことがない長南喜悦氏は、目下青森県の温泉で治療中のため欠席だから、代わりにサカ工さんという形。 
左から 勘−、みさ子、秀明、中村、政直、サカ工、俊春
 今回の歴史の話は、昔むかしの朝鮮半島の長白山脈で熊が人間になり、神様の妻になって、ダンという子を授かったという檀君神話から始めたから、一同は初めて聞く話に、興味を覚えた様に頷いていた。

 休憩なしだったから、皆さんは閉口したかと思われたが、勘一氏の娘寿子さんが終った直後に顔を見せたら、勘一氏は、今日の話を娘に聴かせたかったと言っていた。  娘の寿子さんは昨年の10月に、献木した黒松を世話するために、わざわざ長南町まで来てくれた娘さんで、長南氏の歴史にはことのほか熱心な研究家だから、一同も残念がった。

 昼食にはお店の寿司。新鮮な海の幸に、ここならでわの舌鼓。予定を終り辞去する時に、政直氏が「市役所など関係方面に話をしたいから」とテキストの本を求められたので、数冊を差上げた。

 こうして、地元の方が行政など各方面に、積極的に働き掛けることが実現すれば、これ以上のことはなく有難い。
 政直氏の父君亀志氏は、かつて中村が調査のため、此の地を訪れる度に、案内役で何処へでもご一緒したのを思い出しやっぱり血筋は争えないなと感激した。

 帰りに、本塩釜駅でカラーの広報紙を見た、表題は「光源氏の愛した地塩釜へ」とあり、見開きに市内の案内地図があり、丸長寿司も掲載され裏には「日本庭園のルーツ塩釜」という項に 松島のルーツが次の様に紹介されていた。
 

松島は鎌倉幕府製?

「平安時代、松島湾の島々は、ブナやコナラの原生林で覆われていました。ですから融が見た島々の様子は、今とちょっと違った風景だったかもしれません。なお「松島」が今のように松で覆われるようになったのは、鎌倉幕府が、千本の松を人工的に植林してから以降のことです。」

 これは、塩釜市や周辺の地域では、周知のことかもしれないが初めての発見で、大変驚いた。そうなると、これまでの知識に追加して、松島の歴史は次の様になる。
 松島は、先ず鎌倉幕府の手により成立した。その後江戸時代に伊予の国から瑞巌寺に来た雲居禅師は、松島の松が淋しいのを見て、寒風沢の長南和泉守に相談して和泉守が他邦から黒松の種を求め、これを育てて植えたので、現在の松島が出来た。

 禅師が1640年に和泉守に与えた賞状には「もともとこの島には、赤松しかなかったが、和泉守が黒松を植えたので見事な松島が出来た」と記してある。ここで、早速政直氏に手紙を書いて、次の調査をお願いした。
  1.鎌倉幕府の赤松植栽については、どの文献に拠ったものか、前記の広報紙を発行した、塩釜商工会議所に確かめていただきたい。

2.鎌倉幕府の植栽以来、松島に松を植えたのは、長南和泉守だけなのか、ほかにあれば知りたい。

3.現在、松島町では松島の景観保全に努力していると聞いているが、その事業内容はどんなものか。

4.松島周辺の市町村や観光協会は、松島の保全について当然考えていると思うが、どのように進めているか。

  全国長南会として松島の景観保全ということは、和泉守の遺志でもあると考えるから、今後の進展が期待される。

(政直氏は直ちに行動を起し、商工会議所その他で精力的に調査して、詳細な報告を寄越したので、次号に掲載する。)

                                                     
                                                                             中村
ルーツの会庄内盛大に開催      鶴岡市  長南成
左から後列 田代、玉木、一美、光、蒼空、佐藤、寿−、力、明重、飯野。中列 和志、君子。前列 中村、成、真啓、ヒサ

   二年前、世界でも類が無いと言われた霊能者、長南年恵(極楽娘)の没後100年祭を、全国長南会庄内支部主催で開催し全国各地より一族の皆様にかけつけていただき、盛大に法要を執り行う事が出来ましたことに、この紙面を借りて改めて御礼を申し上げます。
 あれから二年後の今年、長南一族1000年のルーツを語る会のお話が、事務局長の中村さんからあり、協議する中で9月25日開催が決まり、テキストなどを送っていただき、稲村市中心に旧朝日村含めて40世帯以上の一族の家庭訪問を開始しました。
 折も良く、警察官を退職したばかりの、長南明重さんが協力してくれることになり、手分けをして行動しました。
 この度の家庭訪問で苦いたのは、二年前年恵の会で元気だった人が13名ほど亡くなっていました、その内の三軒は家族ごと消えて行方が分からない状況にびっくりしました。

 高齢化の波が予想以上に早いスピードできているという事であろうか?
そのような事もあって、参加状況で心配しましたが、初めて参加してくれた和恵さん、達巳さん、お忙しい中時間をさいて駆けつけてくれた、佐藤政之助さん、力さん、尺八(香風会)の皆様には心から感謝を申し上げます。

 この度の庄内での語る会は、西荒屋の民宿「知憩軒」長南光さん経営を貸切り、

1.昨年、光さんがイタリヤに招待された時の報告
2.庄内町、昔々の語り部、一美さんの面白い昔話し五題
3.尺八演奏(中村さんの奥様が5曲はど歌う)ソプラノ歌手です
4.昼食(光さんの手料理に舌鼓み秋を満喫しました)
5.午後1時から3時半造こ局長の中村さんより一族1000年の話から始まり、分かり易い教材を基に国の成り立ちからはいり、道真が現れるまでの日本国が作られて行くストリーが面白く、感銘を受けました。
                                                                                                                    (鶴岡の、しげる)
中村就一氏の作品(油絵)
ch0330@support.email.ne.jp